アセンションの時代

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「あの人のエゴ」は誰のエゴ?

私たちの周囲には、とても強いエゴを持った人と言うのが時々いるものです。

しかし、そのような人のエゴと言うのは、本当に「その人」のエゴだけを表しているのでしょうか?

3次元世界にいた私たちは、世界を「外側」に感じて、そうした人々のエゴは100%純粋にそれらの人々のエゴだと信じて来ました。

しかし、本当にそれだけの解釈で良いのでしょうか?

例えば、その強烈なエゴに触れたときに、私たちはそれを「悪い」と感じて「批判」します。口に出さずとも心の中でそう思います。

それを「悪い」と感じるとき、必ずそれに対して、自分は「良い」という評価が生じ、一対の価値判断が生まれます。これが、「エゴ」の正体です。

つまり、外側に現れた現象によって、「自己の内側に潜んでいたエゴが浮かび上がる」ことになるのです。

私たちは、人の行動を見て「エゴ」だと感じていますが、実はそれは「自己の内側に潜んでいた、己自身のエゴ」なんですね。人の行動を映し鏡としてそれを体験しているのです。

しかし、そう言ってしまっては疑問が湧いてきます。「では、どうしたら良いのか?それを無視すればよいのか?受け入れて従えば良いというのか?」と。

そうした疑問が湧いた時に、問題を解決するための1つの考え方があります。

「愛に溢れ、調和を達成している聖人なら、どの様に対応するだろうか?」と想像してみるのです。私たちは、自分を不完全な存在だと決めているために、答えを導く前に様々な言い訳を見つけて、自ら答えを隠してしまいます。

しかし、聖人たちならどうするだろうか?と考えれば、そうした言い訳をクリアしてすんなりと答えを見つけ出すことも出来やすいのです。ただ、その答えにうまい解釈・理由付けを見つけられずに、「でも、私は聖人じゃない」と決めて元に戻ってしまう場合も多いでしょうが。

でも、私たちは誰もが、「記憶喪失の聖人」なのです。覚醒して多次元存在である事を思い出せば思い出すほどに、私たちは誰もが聖人へと戻っていくのです。

エゴの強い人を自分の外側の世界に見つけた時、付き合いたいのなら付き合えばよいし、付き合いたくなければ離れれば良いのです。

それは自分の選択です。「でも、あの人が・・・」というのは、自分の力ではなく相手に力(決定権)を委ねる事を選択した人が口にしやすい言葉です。

もちろん、その選択はその人にとって「良い選択」なのです。その人は、自分の本当の力に目覚めていないために、まだそうした経験を通して学ぶことを魂のレベルで選択しているのです。

本当にもうそんなのは嫌だ、もう充分に学んだという人であれば、基本的にはそうしたエゴには付き合いません。始めのうちは付き合わずに「無視」をするようになるかも知れませんが、自分の力を知り余裕が出てこれば、相手の近くにありながらも振り回されず、無視もせず、ただ自分らしく堂々とあることが出来るようになります。

その時、常に相手に対する調和の扉は開かれた状態にあります。それにより応じるかどうかは、相手の選択次第です。この時、相手がどう選択しようとも、その人自身は既に相手と調和の取れた状態にあるのです。

そうした場合、エゴの強い人は相手との社会的な立場からの力関係を考えた上で、相手から離れていくか距離をとるようになっていき、調和の取れた人の周りには調和の取れた人や取ろうとする人が集まってきます。

こうして、調和の取れた人の世界にはエゴの強い「嫌な」人はいなくなって行くのです。しかし、これは周囲の人から見た場合であり、調和の取れた人にはエゴの強い人は、他の人々が思うように「嫌な」人とはうつっていないのかも知れません。

それはエゴにより「苦しんでいる人」「学んでいる人」「人々の内側のエゴを映し出す役割の人」と映るのかも知れませんね。

つまり、キチンとした区別で状況把握が出来ているからこそ、差別で価値判断をしていないのです。

私たちはこのようにして、自分の外側の世界(日常)に、自分の内側の世界を映し出して経験しているのです。

外側にエゴの強い人がいて、自分を散々に振り回しているとき、その原因は振り回されることを選択している自分の内側にあるのです。

自分の内側の問題がクリアされていれば、周囲から振り回されているように見えても、自分にはあまりそうした被害意識は生まれてこないでしょうし、そうした状態にあればやがて相手は自ら離れていくことになります。

内面が振り回されずに確固として独立している人は、エゴの強い人のそのエゴを満足させる事が出来ないどころか、かえってそのエゴを傷つける事になるのです。

すると、始めは猛烈に屈服させようと異常な圧力をかけて来ますが、それでもダメだとわかると今度は自己(エゴ)防衛のために距離をとるようになるのが一般的です。

私はこれが人間社会を通して学ぶ、「エゴ」という教科の一連の授業過程ではないかと思っています。

各自がこの学習を終了した社会では、お互いが「自立」してそれぞれに「個性」を持っていながら、無理なく自然に「調和」しているのだと思います。

しかし、これは3次元で卒業するものではなく、一定の学びを終えていれば、残りは4次元の世界で今後も学びを続けていく事であると思います。

そして、5次元へ上昇する時には、それらの全てを学びきって幻想の世界から、本物の世界へと覚醒するのです。

今回のアセンションは、目先的には残り10~20年くらいをかけて4次元へと移行しますが、その後に1000年くらいのいわゆる時間的な変化を通して5次元へと移行するまでのところが1つの大きな括りとなっています。

自分のペースで、しっかりと噛み締めて進みましょう。

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