アセンションの時代

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「前向きな崩壊」・「後ろ向きな崩壊」

これまで長く続いてきた、現在の金融・経済システムですが、実質的にこれらのシステムと言うのは、今や手の施しようがない末期的な状態にあるのが実際のところです。

中央銀行量的緩和」と言われれば、多くの人は政治家などの知的な専門家たちが、高度なテクニックで金融・経済を運営していると錯覚してしまいそうですが、実際には「お金が無いなら刷ればよい」という発想で、とんでもない勢いでお金を発行しまくっているのが現実です。

そうしたやぶれかぶれの対策も、いよいよ効果がなくなってきており、中国では1年前から本格化しだした不動産バブルの崩壊から逃げ出したお金の行き先として、株式市場が急激なバブル相場を生み出していましたが、先週からいよいよそれも崩壊を始めた可能性が高くなっています。

一方、欧州ではギリシャ財政破綻が長いこと問題となって来ましたが、いよいよその実現が決定的な状態となったようで、回避されると期待していた金融市場では、週明けから荒れ模様となる可能性が出て来ました。

これらのいずれもが、即座に私たちの日常に影響することは無いと思いますが、こうして混乱の幕はまさに今、上げられ始めており、今年の秋頃には大きな波となって、私たちの生活にまで大きく影響し始める可能性が高まっています。

ここで、いよいよ表面的にも現れ始めた金融・経済システムの崩壊が、一体何を意味しているのかを今一度おさらいしてみようと思います。

この崩壊は、3次元的な分離に基づくシステムの崩壊であり、3次元思考を握り締めている人たちにとっては、世界の終わりにさえ映ることでしょう。

しかし、4次元の調和的な世界を目指す人々にとっては、分離からの開放であり、争いと言う鎖から解き放たれるのだという事を理解する事が出来るでしょう。

これまでの金融システムを支えてきたのは「利息」という制度です。利息とは、庶民がお金持ちにお金を納めるシステムです。

そもそも、お金とはスムーズに物とサービスを「流通」させるための道具であったのですが、腐らないという特性から「貯蓄」という機能も兼ね備えていました。基本的にほとんどの生活必需品は朽ちていくものなのですが、お金は腐りません。それが、システム上とても大きな歪みを生み出しているのです。

腐るものであれば、たくさん取れればみんなで分け合い、お互い様で助け合っていくのですが、この腐らないお金の導入によって、人々は分け合うことをやめ、「貯蓄」するようになっていったのです。

本来は、お金にも朽ちて価値が下がる仕組みを導入する必要がありました。お金は持っていると価値が下がっていく制度が導入される必要があったのです。

しかし、実際にはお金を持っていると、利息がついて自己増殖していく制度が取り入れられました。

それはなぜか?お金の貸し借りをする際には、貸す側のほうが立場が強いものです。この、利息と言う制度は、健全なシステムを目指して創られたものではなく、お金持ちの金儲けのために生み出された制度なのです。

お金の無い大衆はお金を借りたらそれを返さなければなりません。しかも、利息を上乗せして返すのです。お金が無いから借りるのに、さらにお金を上乗せして返すのです。

一方でお金を貸す人は、お金があるから貸すのですが、全て返って来る上に、利息までついて勝手に増えていくのです。

私たちはこれを当たり前と考えて来ました。3次元の分離と争いの世界では確かにこれが当たり前なのです。しかし、宇宙には他には方法は無いのでしょうか?

お金持ちのためのシステムではなく、富が大衆の間を平等に循環するシステムを選ぶ事にどの様な問題があるというのでしょうか?

しかし、3次元思考に染まった人々は、そうした考えを甘い、現実的でないと考えてバカにする傾向にあります。しかし、なぜひたすら富の格差が拡大し続ける金持ちのためのシステムが現実的で、民衆の間を富が平等に循環し続けるシステムが非現実的なのでしょうか?

これが、マインドコントロールの力なのです。自らの頭で考えれば、どちらがより良いシステムであるかは明らかなのですが、考える前に金持ちに支配されたマスコミによって作り上げられた社会の常識に、決定権を委ねてしまっているのです。

富の格差がひたすら拡大していく制度が、最終的にどうなるかは、少し考えればわかることだと思うのですが、私たちは考える事を拒み、社会の常識というつくりだされた流れに運命を委ね来たのです。

その結果が、今から起こる崩壊です。

中国と言う国の富の格差は、私たちの常識を遥かに超越した世界にあります。ギリシャ財政問題にしても、交渉の流れの中に見えてくるのは、何とかこれまでの分離と搾取のシステムの中に踏みとどまらせようと言う債権者側の姿勢と、もうそのシステムの中でやっていくことはゴメンだという債務者側の主張です。

本当の債権者は、一切表に出てくることは無く、各国首脳でさえ本当の債権者の代理人でしかないという事を理解してみないと違和感も感じるでしょうが。

アセンションする人々にとっては、今始まりつつあるこうしたシステムの崩壊は、鎖から解き放たれる事を意味しますが、かといって即座にバラ色になるわけではなく、しばらくは混乱の時間が続く事になるでしょう。

しかし、それを3次元思考で破滅への道と受け止めるか、多次元思考で高い世界にジャンプする前の一時的なしゃがみ込みだと受け止めるかには雲泥の差があります。

今日は、「利息」について書きましたが、「資本主義」についてもまったく同じ事が言えるんですね。「グローバル化」についてもまったく同様です。調和の取れたグローバル化なら良いのですが、利息や資本主義と言う分離と搾取システムのグローバル化を進めているのですから最悪です。

私たちは、こうして様々な日常の現実を、多次元的な視点から捉えていかなければなりません。アセンションを娯楽的に、夢想的に捉えているだけで、実際の日常の中に取り込まない人と言うのは、前え進んでいないんですね。

前え進めたらいいなぁと、立ち止まって夢想しているのです。

しかし、アセンションと言うのは、前へ進む事なのです。前とは、高い波動世界でわかりやすくは調和的な世界という事です。調和的な世界とは、日常的に当たり前な出来事の全ての中に、調和的な視点を見出していくという事です。

私たちは分離的な世界で、あらゆる日常を、無意識に分離的に捉え、それを常識として受け入れています。実は、こうした無意識や常識を覆していくというのは、かなり時間と意思を必要とするのです。

しかし、その気さえあれば、今この瞬間から直ぐにでも取り掛かれる事なんですね。

決定権はもちろん自分にあります。分離と調和、どちらの世界がお好みでしょうかね?

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