アセンションの時代

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「知識」と「知性」

こうして取り上げて考えると、私たちはその違いを何となく知っているようにも思えますが、実際に「知識」と「知性」を区別し日常を生きていくことは、これまでの3次元世界では意外と難しい事であったように思います。

私たちは、受験を通して人間の成長をはかる社会に生きて来ました。受験とは基本的に「知識」の量をはかる事により優劣をつけ、優秀なもののみを取り上げていく進学制度です。

それは、必ずしも完全に知識だけをはかるものではありませんが、知識の量をはかる事が重視されています。

知識と言うのは、情報であると言えます。それは、自己の外側から与えられたものであり、私たちは知識を溜め込む事で、自己の内側を覆い隠し、そこにある「知性」を消してしまう事が多々あります。

例えば、アセンションについても同じような事が言えます。

アセンションとは、自己の内面に存在する知性により、真理を探究する過程で訪れる1つの現象的通過点なのです。

しかし、そうした探求をすることなく、アセンションに関する知識(情報)を詰め込むことでアセンションが進展するかのように、ひたすら知識を求め一向に知性を働かせようとしない場合があります。

これまでの社会の延長で、受験戦争という詰め込み競争をアセンションと言う教科に移ってそのままやっているという事にならないような注意が必要かも知れませんね。

例えば、私は最近は他のブログ等でコメントを通して議論するようなことはなくなりましたが、以前よくコメントしたりしていた時に途中からコメントに参加してくる人などに、知識競争を挑んできて勝ち負けをつけたがる人が結構いるんですね。

お互いの意見や見解を通してともに真理を追究するのではなく、知識競争を挑んでくるんですね。

知識と言うのは、どこまでいっても自分の外から取り込んだ単なる情報でしかないんですね。外から与えられたものであり、それに依存することは自己の内面に宿る知性を覆い隠してしまうことになるのです。

もちろん、知識が悪いというわけではなく、知識は良いでも悪いでもない単なる情報で、それを「生かすも殺すも知性次第」だということです。

知識と言うのは、自己の外側からやってくるものですから、頭に入っていなくても調べれば解る事なのです。

しかし、知性と言うのは内面、つまり自己の一部として存在する能力であり、それを成長させる事こそがより大切なのです。

私たちは知識を詰め込み、それを数字(点数・偏差値)ではかる社会に生きて来ましたが、その延長にアセンションは無く、それを手放し知性を重視し始める事によって、自らを進化させることが出来るのです。

知識は外から来たものであり、知性は内から来るものです。

私たちはあらゆる側面から外の世界を重視して来ましたが、こうした視点からも、内側への探求を深めていく事が大切なのかも知れませんね。

 
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