アセンションの時代

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「無条件」の愛って何?

私たちは、「愛」を重要なキーワードとして認識していますが、それを正しく認識する事が出来ていないようです。

私たちが「愛」と認識してきたものは、「条件付の愛」だと言われています。

「あなたがキチンと働いてくれるのなら」「あなたが優しいのなら」「あなたが頼りがいがあるのなら」「あなたがオモシロイのなら」「あなたがお金をもっているのなら」それなら、私はあなたを愛します。

多かれ少なかれ、こうした「条件」をクリアしたときにのみ「愛」が成立するのだと思って来ました。

しかし、3次元から4次元へ、そしてさらに5次元へと移行していくことを目指す中で、最大のテーマとなる愛は、「無条件の愛」です。

相手がどうあろうと、ただその存在自体を愛するという事なのです。

ただここで、私たちに誤解が生じやすいのかも知れません。私はその誤解をクリアするためにとても苦しんで来ましたし、今回のこれまでの私の人生においては、それは最大の難関の1つでした。

相手を無条件で愛するということは、ただ相手の存在を愛し、相手を受け入れるという事なのですが、相手が引き寄せた問題を自分が必死になって尻拭いをし続けるという事ではないのです。

相手のネガティブな行為も、その人自身の学びの一環なのだと受け入れて見守るという事であり、それを自分が必死になって尻拭いをし続けて、相手の学びの機会を奪い、相手に対して苛立つというものは愛ではないんですね。

それは、自分の思う形を相手に押し付けようとするものなのです。

引き寄せた問題は、引き寄せた人の学びの機会であり、それを見守る人はサポートこそしても、成り代わって学びの機会を奪ってはいけないんですね。

例えば夫婦の場合、婚姻関係という法律的な枠組みを何が何でも守り行くことが重要と言うものではないのかも知れませんね。

大切なのは、良かれ悪かれ、お互いがお互いの生き方を伸び伸びと実現していける環境なのです。その生き方がお互いにあまりにも異なり、夫婦と言う関係がお互いを苦しめあう関係である時、それでも絶対にそれを維持し続けなければならないというものではないんですね。

愛をもって離婚を選択するという事もあり得ると思うのです。

もちろん、お互いが無条件の愛を持って、より深い関係を築いていければもちろんそれが一番良いことは言うまでもありませんが。

でも、それは婚姻関係に限らず、どの様な関係にもあてはまる事なんですよね。

そもそもが、私たちは「無条件の愛」の中に存在しているんですね。

私たちは、魂が選択して生まれてきた世界という環境を前提として、自らの意思で生きていくことが出来ます。

私たちは「無条件の愛」の中に存在しているがゆえに、自らの意思で生きていくことが出来るのです。中には過酷な環境もあり、様々な状況により追い詰められ他に選択肢が無いように思える場合もありますが、それでもそうした状況を踏まえて「最後に決めるのは自分」なのです。

場合によっては、その決断により殺される事もあるかも知れませんが、それらは良かれ悪かれ魂の成長に確実に反映されているんですね。

そして、再び転生した時には、その波動をもって新しい人生を生きることが出来るのです。転生を超えて現れるそうした結果を、カルマという場合もあります。

そのように私たちは、無条件の愛のもとに自分を生きることが出来ますが、その結果は必ず自分で刈り取る事になるのです。それをさせてくれる事が、無条件の愛なんですね。

私たちは、無条件の愛により、殺人や詐欺・搾取という行為さえ許されているのです。それは、3次元世界を超えた無限の多次元世界からそれを許されているという意味ですが。

もちろん、3次元世界の中では殺人を認めるわけにはいきません。それは、残虐極まりない行為です。

しかし、無条件の愛は多次元世界から、3次元世界での殺人という経験を許しているのです。つまり、私たちは魂としての永遠の存在であり、本当に死ぬという事は無いのです。3次元と言うのは、永遠の中の一時的な経験なんですね。

3次元世界での死とは、その3次元的な経験の終了を意味しますが、そこから抜け出した魂は、また異なった経験を繰り返す事が出来るのです。

つまり、殺すという経験は、多次元の本質からかけ離れた行為であり、とてもネガティブな行為です。しかし、永遠に存在している魂が成長しようと思ったとき、より深いネガティブを経験する事によって、よりポジティブな経験を引き出すことが出来るのです。

よくある輪ゴムの例えがあります。輪ゴムを飛ばしたい方向へ飛ばそうと思ったら、まず、その反対側に思いっきり引っ張ることがポイントになります。

あるいは、より高くジャンプしようと思ったら、より深くしゃがみこむ必要があるのです。

このように、私たちはより調和的な大きく深い愛となるために、その対極にある究極的な分離を経験させてもらえるほどの、無条件の愛の中に存在しているのです。

誤解の無いように、念を押しておきますが、私達人間の視点から「殺人」を肯定しているわけではないですよ。当たり前ですが。それは最悪(正確には超ネガティブ)な行為です。

ただ、この人間世界を超えた、多次元的な視点を持つ必要があるという意味から、この記事を書いています。

これは、殺人をするという人にそれを認めてあげるというものではありません。ただ、殺人と言う行為をしてしまった人に対して、どの様に対応したらよいかという事を考える上では、1つの大きな意味を持っていると思います。

死刑にするのか。自分が何をしてしまったのかについての学びを促すのか。

殺人犯にとっての一番の地獄と言うのは、死刑ではないと思うのです。おそらくそうした人にとっての一番の地獄は、自分が何をしてしまったかを正しく理解する事だと思います。

自分が何をしてしまったのかを正しく理解する事が出来たら、その魂にとってはとても苦しく大きな学びとなるのだと思います。

多次元世界の無条件の愛は、そこから学ぶ事を許しているのだと思います。
 
無条件の愛の1つの捉え方は、その存在に必要な学びを認めて、見守ってあげるという事かも知れませんね。

ちょっと、微妙な記事でしたね。誤解されることが心配で、やっぱり消しちゃおうかと思ったのですが、出しておきます。

誤解無く、うまく真意を読み取っていただけると助かります。

どうにもおかしいと思った場合には、確認のコメントをもらえると嬉しいです。一緒に再考してみましょう。

当たり前ですが、私が先生で皆さんが生徒と言う訳ではありません。私たちは誰もがこの世界の生徒なのですから、お互いに高めあっていく事が出来たらいいですよね。
 

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