アセンションの時代

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近未来の現実

いっしーさんから頂いたテーマで書いてみようと思います。

企業や仕事が将来的にどのように変わっていくかという事です。

ここでは15年くらい先に、そうした経済のあり方の基盤が軌道に乗り始めるのではないかと言うくらいの、時間的なスパンを持って見ていただきたいです。

つまり、いわゆる象徴的なアセンションとしての量子飛躍をした結果、ある日突然にそうした世界に変わるというものではなく、今から15年くらいの時間をかけて、古いシステムを完全に手放し、新しいシステムを軌道に乗せてその上で本格的にシステムとしての体裁が整ってゆくものだと思います。

つまり、ここから5年くらいの期間は、主に古いシステムを手放すための時間であり、ある意味でもっとも厳しい時間として受け止めやすい時間帯になると思います。

将来的、つまりここでは15年くらい先に軌道に乗り始めるであろう、近未来の仕事の形として、次のようなありかたをチャネリング情報等を基にしてイメージしています。

今からの10年くらいで、フリーエネルギーが実用的な形で登場する事が、そうした変化の礎となります。

これまでは、仕事とは「生きる糧を得るためにやらなければならない事」でした。そこにやりがいを絡めて美化する事も出来ますが、仕事の本質はそうであったのです。

もちろん、そのやりがいを否定するものではありませんが、それはたまたま仕事としてやっている事とやりがいが一致した例であって、それが仕事の定義とはなりません。

例えば、仕事であれば相手からお金を取っているはずですが、お金を取らなければ相手はより一層喜び、やりがいも増すことでしょう。

しかし、「生きていくため」にはお金を取らなければなりません。仕事=やりがいではなく、仕事=お金(生きる糧)を取る事なのです。やりがいは仕事と切り離せますが、お金は仕事とは切り離せないのです。

しかし、将来的にはそういう意味での仕事の量は激減し、さらにその先の未来では完全に無くなっていくと思います。

それは、仕事をしなくても生きていくことが出来る世界になるという意味です。

私たちが必要とするお金は、想像以上の割合で「エネルギー」のために支払われています。電気代・ガス代はもちろん、ガソリン代・灯油代もそうですね。

また、ほぼ全ての物には、その製造過程で電気などのエネルギーが使用されており、そうしたエネルギー代は製品価格にかなりの割合で転嫁されているのです。

それは工場の機械を動かす電気代だけではなく、作業員が働く環境を維持する照明やエアコンの電気代、そして人件費として作業員が家庭で利用するエネルギー代も含まれています。通勤のためのガソリン代等も製品原価に含まれており、慰安旅行の交通費、社員食堂のガス代、製品を輸送するガソリン代等々、想像を絶するエネルギー代を私たちは知らず知らずの内に負担しているのです。

これが、フリーエネルギーにより無料となれば、私たちはこれまでのようにお金に追われて働き続けなくてもよくなるのです。

その他の面でもすでに現時点で劇的に進化し続けている、コンピューターやロボット技術のさらなる進化によって、最低限生きていくためには、ほとんど働く必要は無くなるんですね。

こうした流れが、これまでのあり方が崩壊するこれから5年くらいの後、10年くらいの時間をかけて広がっていくと思います。

すると、私たちは生きがいを求めて、趣味とボランティアを融合させたような形での社会貢献を始めるのです。

例えば、パンを作ることが好きな人は、パン屋さんを始めます。料金は無料です。お金を取らないんですね。

研究の好きな人は研究者になり、新しい技術を見つけて社会に貢献します。

農作業の好きな人は、農作物を作り、それを人々に提供します。

私たちにはそれぞれに個性があり、みんながワクワクする事をやったからといって、みんなが同じ事をする訳ではないんですね。

また、みんなが同じ事をすれば、それよりも必要とされる違うことをやってみんなに喜ばれたいと思うものです。

こうして、社会が機能していくことになるのです。

「それでは、どうやって「お金」を手に入れるの?」と思いますか?(笑)

答えは、お金は手に入らないのです。なぜなら、お金など必要が無いからなんですね。パンを食べたくなれば、パンを作るのが好きで、それによって社会貢献する事を生きがいにしているパン屋さんに行ってもらってこれば良いのです。

他の全てのものも同じ事です。

それでは「誰も働かなくなる」と思いますか?では、そうした人々は何をするのでしょう?

例えば、旅行が好きでよく旅行に行く人もいるでしょう。そういう人たちは、そうした旅行先と住んでいる土地の情報をそれぞれの土地の人々に広め、人々の好奇心をかきたてるんですね。それも魅力的な社会貢献です。

しかし、多くの人は、たまには旅行をしてもやはり基本的には定住を好むものです。するとどうしても、趣味を通して社会貢献したくなるものなのです。

あるいは浪費・怠惰な生活というものもあるでしょうが、そうした事に価値観を見出そうとする人は、波動的にそうした4次元的な現実へは行く事が出来ないのです。

つまり、4次元的な現実を経験するためには、「自分」が4次元的な波動域にまで自らの波動を上昇させる必要があるのです。

調和的な世界は、当たり前ですが調和的な人々によってのみ生み出されます。

浪費・怠惰な生活を求める人が大勢いれば、そうした調和的な世界は、その低い波動に耐え切れずにあっという間に争いと奪い合いの世界になるのです。それが3次元のこれまでの世界のあり方です。

世界というのは無限のパターンで既に存在しており、自分がその中からどの世界を経験するのかが問題となります。

3次元的な波動の人は3次元的な世界を経験し、4次元的な波動の人は4次元的な世界を経験します。みんなが1つの同じ世界を経験するとこれまでは思われて来ましたが、実は全然そうではないんですね。

世界は1つではなく、世界は無限の種類で存在しているのです。

つまり、自分を調和的な存在として洗練させていけば、15年後くらいにはここに書いたような社会が現実的になり始めている世界を経験できるだろうと思います。

ただ、いつまでも分離的な波動でいれば、15年後にはそれに合致する波動世界を経験する事になります。

つまり、今日書いた未来像というのは、調和的な波動を洗練させていく人たちにあてはまる未来像であって、全ての人に当てはまる訳ではありませ。分離を握り締めていたい人たちは、そうした分離の世界を経験する事が出来るのです。その選択は各個人の問題なんですね。

しかし、いつも繰り返し書いているように、だからと言って不安や恐怖に捉われる事は意味が無いどころか、自分の波動を下げていく事になります。

一番大切なのは、「今」の中で、常に自分を調和的な存在として高めていくことです。
 

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