アセンションの時代

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自分は役に立てているのか?

さて、それでは次は、内緒さんからのテーマで、「自分は役に立てているのか?」という事で書いてみたいと思います。離れ行く3次元との距離感のような感じも絡めていただいたのですが、不自然に周囲を引き寄せる意識を持たなくても、自分を中心として調和的な波動を保っていれば、それに応じた周囲の環境・人々・出来事が引き寄せられてくると思います。

基本的に人はまず、自分の内面への取り組みにより、自己をスピリチュアル的な安定軌道に乗せることを目指します。

自己の不安や葛藤を乗り越えるために、自己のスピリチュアル性を確立させる事を目指すんですね。

そして、ある程度それが確立されて安定軌道に乗ると、今度はその自己内面に確立された安定を、自己の外面世界へと拡張し、そこで調和的な現実の創造に取り組み始めたくなる傾向を持っていると思います。

仙人のように、山に篭って一人で調和に篭るしかない(人々とその調和を分け合える環境に無い)時代がこれまで長く続いてきたと思いますが、今は人々と分け合うことが出来る時代に入り始めているんですね。

少なくとも今からは、自己の内面と外面とは、完全に表裏一体なんですね。

私たちが現実と感じる日常世界は、私達各個人の内面の現われだと言われていますが、内面の調和を達成し始めた人たちにとっては、それは例えでもなんでもなく、実際にその通りそのままなんですね。

従って、内面が調和を達成し始めると、今度はそれを外面に拡張して「積極的」にその経験を創造したくなるのです。

しかし、自己の日常を分離から切り離し続け、ある意味でこれまでの基盤を手放し続けてきた状態では、さしあたってどうしてそれを表現したらよいのやら?という状況にも遭遇しやすいかも知れません。

しかし、結果と言うのは求めるものではなくて、ついて来るものなんですね。

こうして人々の役に立ちたいと「結果」を目指して動いても、それはあまり上手くいかないことが多いんですね。これまでの3次元的な感覚では、目標を定めて計画的に・・・というのが良いと思われて来ましたが、4次元では違うみたいですね。

4次元では、ワクワクとする、やりたいことをやっていくという事が大切なんですね。

そうしていれば、例え一時的に周囲の役に立てていないように感じられても、キチンと役に立てているんですね。

電車の中に、怖そうな人が乗ってきて椅子に座り、次の駅で降りたとします。入れかわりに優しそうな人が乗ってきて、その次の駅で降りたとします。

この場合、二人とも何もせずにただ乗って降りただけなのですが、その車両に乗っていた周囲の人々は、この二人からまったく同じ影響を受けたでしょうか?

そうではないですね。怖そうな人からはネガティブな、優しそうな人からはポジティブな影響をそれぞれに受けたと思います。

調和的な波動を持っている人は、そこにいるだけで人々に調和的な影響を与えられるんですね。何もしてないから何も影響を与えていないというものではないのです。

そして、怖そうな人はそれならいないほうが良いかといえば、そうではないんですね。その人はネガティブな影響を与える事で、人々の多様性のある経験を支えているのです。

特に現在、大人となっているインディゴの第二世代の人々の役割と言うのは、主に調和的な高波動(エネルギー)を地球にアンカーする役割を担っており、変な言い方ですが、別に何もしなくてもただそこにいるだけで多次元的な役割を果たしていることになるんですね。

調和的であり高波動をキャッチできる状態になければダメですが。

その上で、日常的な社会の中にも具体的に高い波動(調和)を広げていくわけですが、それはあくまでもやりたいことをやっていれば、結果として現れてくることであって、あえて積極的に結果を追う必要はないんですね。

そんな訳で、私たちが乗っていく流れと言うのは、まず、自分の内面に調和を確立して、自分の中から不安や恐れを消し去る事。まあ、調和を確立と言っても、ある時点でカチンと完成するものではなく、一応の目安はあるもののそれを越えてもより成長していくべきものだとは思いますが。

その上で、調和的になった自分がワクワクするやりたいことを、その好奇心に従って素直に取り組んでいけばそれがやがて、社会へ調和を広げる形で自然に現れてくるのだと思います。

私は考えて考えて、やりたいことがあったのですが、やってみたけれど周囲が思ったように乗ってきてくれずに、ちょっと頑張って押し切れる雰囲気じゃないなと思って、一度引っ込めている事があるんですね。

それは、やりたくてやったというよりも、やらなければならないという義務感のようなものもあってやったんですね。だから、うまくいかなかったと思うのです。

その一方で、まあ取りあえずやりたいからやっていこうと思ったことは、いい具合にいいペースで軌道に乗ってきているんですね。世間からはそう評価されないでしょうが、私としてはとてもいいペースで進んでいるのです。しかも、努力や苦労とも無縁に、ただやりたいことを楽しんでいるだけなんですね。

そんな訳で、無理に結果を追わなくても、よりスピリチュアル性を高めながら、あるがままにワクワクを楽しんでいけばよいと思います。山奥に篭って仙人にでもならない限り、社会から切りはなれて生きられることはないでしょうし、そうであれば、結果はそのうちに自分に適した役割として現れてくると思います。

それは、運任せとかではなくて、多次元的な波動の法則にのった自然な現れなんですね。世界と調和的に、楽しんで行きましょう。