アセンションの時代

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「不安や不満」が意味するもの

私たちは、3次元的な世界の中で「不安や不満」にまみれて生きて来ました。

なぜ、私たちが本能的にスピリチュアルにひかれるのかと言えば、私たちがもともと霊(スピリチュアル)的な存在だからなのです。

しかし、スピリチュアルを忘れかけた私たちがそれでもなぜスピリチュアルへの帰巣本能を失わないかと言えば、それは「不安や不満」から逃げるため、正確にはそれを乗り越えるためには、最終的にスピリチュアルへ帰るしかないという真理にあるのです。

私たちは、不安や不満との格闘を転生の中で延々と繰り返し疲れ果て、忍耐の限界に達した時、自分がスピリチュアルな存在になりそれを乗り越えようと試みるのです。

そして、スピリチュアルに進化(回帰)すればするほどに、不安と不満は自分の中から消えていきます。

多次元世界においては、3次元と4次元世界は幻想の世界であり、そこには二極性が存在し、不安や不満も存在します。

つまり、私たちが4次元へアセンションしても、そうしたものはこれからも残っていくのです。ただ、まったく同じように残っていくのではなく、桁違いに小さな感覚には変わっていくでしょうが。

しかし、名実共にスピリチュアルな存在である、5次元以上の存在たちには、不安や不満はありません。

彼らは、不安や不満を呼び寄せて利用することで自分を進化させるという必要がないからです。彼らもまた進化(回帰)を続けますが、それは不安や不満を原動力にしてはいないのです。

つまり、私達にとっては、不安や不満と言うのは、スピリチュアルへ回帰するための乗り越えるべきハードルそのものなのです。

そのハードルは、はじめは威圧的・脅迫的に迫ってきますが、そうしたハードルを1つまた1つと乗り越えていくと、そのハードルは徐々に低く、間隔も広くなっていき、やがて5次元に到達する頃には、全てのハードルをクリアし終える事になります。

ここで1つ誤解の無いように念を押しておきたいのは、「乗り越える」とは「やり過ごす」ことではありません。

乗り越えた時には、次に同じような出来事が起こっても、それをハードル(障害)と感じることはありません。しかし、やり過ごした場合には、次に同じような出来事が起きれば、同じように、あるいはそれ以上に高いハードルとしてそれを感じる事になります。

光(調和)の方向へ確実に進んでいけば、ハードルはどんどんと低くなり、間隔もどんどん広くなってやがて障害は全て無くなるのです。

しかし、闇(分離)の方向へ進む、あるいはそこで立ち止まっていれば、繰り返し大きなハードルがやってきて、場合によってはその高さはますます増していきます。ただ、面白いもので、闇の方向へ進むと、そのハードルの高さが増した事に気付くのに時間がかかる事が多々あるんですね。

しかし、気付くまでに苦しむ時間が少なくても、立ち居地は光(調和)の方向へと近づいていないので、早いか遅いかだけで、いつかは結局、光へと回帰するためには全てのハードルをクリアしなければならないのです。

そうした全体像の中で、かなりハードルをクリアしてきたけれど、まだ少しの不安や不満を感じることがあるという時、それは、まだ自分の中に分離的な世界観が残っているという事です。

例えば、3次元的な日常に強制的な関わりを持たされると感じる時、それはまだ、日常世界は自分の映し鏡であるという点等において、認識が定着しきっていない可能性があります。

世界が自分の映し鏡というのは、「例えではない」んですね。そのままの真理なのです。物質的に私たちの経験している世界を捉えている部分があると、それは「例え話」にしか解釈できないのですが、エネルギー(波動)的に私たちの日常を捉えたのなら、それは「そのままの事実」でしかないのです。

強制的に押し付けられる「かのように感じる」出来事というのは、自分の魂が必要としている、光(調和)へ向かうためのハードルであり、ハイアーセルフ等が設定して自分にぶつけてきてくれている学びの機会なんですね。

「強制的に持たされる経験」という考え方の中には、「分離」の思想があります。「自分」が「自分ではない何者か」によって押し付けられるという発想です。

それは3次元・4次元的な発想であり、5次元の発想ではありません。

5次元の存在たちは、全ては自分が引き寄せているという事を理解し、自分の問題として対処します。…多分。(笑)

そうは言っても、私も同じような思いを多々感じています。なかなか簡単には進めませんね。

あと、話題は切り替わるのですが、ここから私たちの肉体的な年齢とアセンションと言う流れの中でのかかわりについて書いておきます。

前の記事に書いたように、世代・生まれた時代によって、アセンションと言う流れの中での役割や固有の係わり方があります。

例えば、インディゴ初期の世代の人達はクリスタル・レインボー世代に比べると、スピリチュアル性を高めるためには劣悪な時代環境の中を生きてきています。インターネットは無く、書籍についても検閲を受けたような書籍しか出回っていないような、調和への情報が極端に少ない時代に成長してきています。

そうした環境の中を通り抜け、情報の少ないその中で自分の世界観を確立されてきているので、世界観の確立においてやや甘いところがある傾向があるように感じます。

念のために言っておきますが、これは内緒さんについて言っている訳ではなく、全般的な傾向としての話しです。

そして、今、怒涛のように多次元からの情報が流入しているのですが、インディゴ初期の世代の人達は、パソコンやインターネットというツールにも疎かったり、今からそれらを取り込んで新しい世界観を構築しなおすというのもなかなか難しいんですね。

そもそもそれは、インディゴよりもクリスタル・レインボー世代に必要なことなんですね。

では、インディゴ世代の特徴は何だったでしょうか?クリスタル・レインボーに無いインディゴの特徴。

それは、多次元世界においても圧倒的に秀でた魂の「強さ」です。

これから何が起こり始めますか?旧システムの崩壊による、社会的な大混乱です。

役割を線引きして区別するものではありませんが、あえてそれを言ってしまえば、「インディゴの時間」がやってくるのです。魂の「強さ」が何よりも求められる時代です。

何も大逸れたことをしなければならないという意味ではありません。家族や自分の住む地域が混乱している時に、ただ、インディゴであれば良いのだと思います。

地に足を付けて、やりがいをもって楽しんで行きましょう。