アセンションの時代

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エネルギーワーク2

頭痛に苦しんでいます。

個人的なエネルギーの話を続けて書くことは、基本的には避けようと思っているのですが、頭が痛くて他に思い浮かばない事と、これまでにない経験なので、足跡として残して置くために、今日も個人的なエネルギーの変化について感じとっているものを書いてみます。

昨夜も夜中の2時頃に目が覚めて、朝方までバタバタと苦しんでおり、今も頭痛は治まった来たものの強いエネルギーに取り付かれた状態です。昨日と同じように。

今回の強烈な偏頭痛は、これまでとは少し異なっています。

これまでは24時間を越えて頭痛が続くことはありませんでしたが、今回は既に2日間を経過しており、未だに本格的におさまる気配が見えてきません。

そして、もう1つ今回の特徴は、エネルギー的なワーク(作業)としての目的が明確に感じられるという事です。

これまで20年近くに渡って続いてきた偏頭痛では、基本的に松果体のエネルギー的ポータルとしての拡大の意味があったと思うのですが、当初から感じていたのはただ「頭がメチャクチャに痛い」というだけでエネルギー的な感覚はありませんでした。

それが判り出したのが、ちょうど3年位前だと思います。

それからは、エネルギー感覚の中で偏頭痛が近づいてくるのが分かるようになって、松果体のエネルギーの受容量を振り切って流入してくると、そこから先はただただ激しい頭痛に襲われる感じでした。

ただ、この2日間は、これまでとは明らかに異なって、今回のエネルギーワークが意図している事がハッキリと解ります。

これまでは、ただエネルギー的なワンパターンであり、意図を持ったワークというよりは、単なる現象というような感じでしたが、今回は昨日の記事にも書いたのですが、明らかに意図を持って行われているワークであるように感じます。

もちろん、より高い視点からは、これまでのものも全て意図されたワークであったとは思うのですが。

そして、この2日間のワークは明らかに異なった意図を持って行われていました。

1日目は昨日の記事に書いたとおりです。

これまでであれば、受容量のメーターを振り切って頭痛の波に飲み込まれてお終いという感じだったのですが、昨日は振り切ってお終いにはせずに、限界をわずかに超えたところでエネルギーを流し込み続け、終わらせないという感じで生殺しのような状態でした。

昨日のワークは、とにかく受容量を拡大させ続けると共に、エネルギーを流し込めるだけ流し込むという意図が強く感じられました。

ところが、2日目は頭痛は頭痛でも、エネルギーワークとしての意図は明らかに違うものにかわっていました。

例えて見ればこんな感じです。

スクリーンに、映画のようにして自分の日常が映し出されています。その映像の中の自分は、映像の中に映し出されている肉体としての自分だけを自分だと思っています。

これが私たちの通常の日常状態であると考えてみてください。私たちは映像の中に生きているようなイメージです。

映像の中の私たちは、そこに映し出されている肉体だけを自分だと思っています。

2日目のエネルギー的ワークは、自分の意識を映し出されている映像の肉体から、スクリーンへと拡大させるものでした。

映像の中の自分が、スークリーンを自分としてエネルギー的に感じとるようなイメージです。

つまり、肉体の中から始まったエネルギー感覚は、これまで肉体を基準にして、そこに付帯する形で感じていたようなイメージなのですが、それがいよいよ逆転し始めているというか、ワークとして逆転を試みているようです。

肉体の周りにエネルギーが拡大しているという感覚から、エネルギーの中に肉体が映し出されているという感覚への転換が、昨夜のワークに意図されたものでした。

容量一杯の状態にあるエネルギーを、とにかく散らして楽になろうと試みる中で、自分の感じる全てのものにまでエネルギーを解放したのです。

まずは、家の周りの身近な場所から、旅行で行った事のある場所、あるいは行ったことの無い場所まで、そして、時間を越えて過去の思い出にまでエネルギーを満たし始めている自分に気付いたんですね。

「あれれ、これはもしかしたら、前世とかの魂の記憶にまでエネルギーを拡大できるんじゃないか?」

と思って、欲を出してみたのですが、そこまでは出来ませんでした。(笑)

そうしたエネルギーの拡大は、最近は知識としては、今後はそうした方向性へ向かうだろうという事はなんとなく感じており、昼間にそうした感覚を少し試みてみたりしてはいたのですが、ハッキリとエネルギー的にそうした試みを実感できたと言う意味で、昨夜のワークには大きな意味がありました。

もちろん、昼間の「活動している状態」では、今でも肉体の中にエネルギーが篭る(いわゆる普通の状態)が強くなりますが、静かに周りを眺めているような状態では、自己のエネルギー感覚はいわゆるスクリーンにまで拡大しているような感覚もあります。

ただ、指先がかすって捉え始めているという段階で、それが確立されたというようなレベルにまでは届いていません。

夜中に頭痛で苦しんでいると、ジッとしていられなくて、自然に手足や身体をビクビク、バタバタと動かしてしまうんですね。(笑)

隣で子供も寝ていますし、そんなに飛び跳ねるような動きではないのですが、少し動きが大きくなった時に、昔テレビで見た某新興宗教の修行風景が頭に浮かんだのです。(笑)

これはさすがにちょっと不味いと、なるべく身体を動かさないように気をつけたのですが、それでも手の指や足先をカタカタ、バタバタ動かしてしまうんですね。

いや、ちょっとヤバイなって自覚してます。だけど、これまでも強烈な偏頭痛の時には、大げさな表現ですが、ちょっとのた打ち回るような感じになる事もあったんですね。

しかし、それも変なイメージが頭に浮かんでしまったので、なんか自分に対してもバツが悪くなってしまい、対策を考えたのですが、実は代案があるんですね。それもちょっと問題なのですが。(笑)

変な話、「うーん、うーん。」と唸るのです。音の波で、エネルギーがある程度散るんですね。

ただ、それも時と場所を考えないとヤバイですよね。(笑)

いずれにしても、この異常なエネルギーの高まりが治まってくれるといいのですが、今のところその気配はありません。

このままでは、今夜もまた苦しむ事になるのではないかと、気を病んでいます。

私は以前は、主に昼間に苦しんで、夜楽になる感じだったのですが、今回はどうも逆になっているようです。

Kさんが、コメントに以前、朝方に松果体が大変だと書いてくれましたが、どうも今回は私もそのパターンであるようです。