アセンションの時代

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カオスを「待望する」心

子供の頃、台風が近づいてくると、なぜだか不思議とワクワクしたものです。

全ての人達がそうではないでしょうが、特に「現状に不満を持っている」人々に、天災やあるいは何らかの出来事による混乱を、深層的な心理において待望しているような所を感じることが多々あります。

こうした心理は、「今」満たされている人たちには起こらない心理ではないでしょうか?

「今」満たされているのであれば、その状態を脅かすそうした混乱は単純に驚異であり、満たされた状態を崩壊させる恐れがあります。

また、現在始まろうとしている旧システムの崩壊のように大きな話になれば、マインドのように変化を恐れたり、ハートのようにそこに不調和を見出して、現状に不満を抱いていても、そうした混乱は恐ろしく感じるものです。

しかし、「今」満たされることなく、不満を持っており、未来に対して楽観的な人々は、そうした混乱が閉塞された不満的現実を打ち壊してくれる事を期待します。

自力では抜け出せない、この閉塞された現実を、地震の様に崩壊させ、台風のように吹き飛ばし、津波のように流しさる、そうした何かを待望しているのです。

人々は特に今の時代、そうした崩壊の先に、アセンションと高次元世界と言うバラ色の世界がやってくることを信じて、そうしたカオス(混沌)を待望したりする傾向があります。

ただ、ここで気をつけていただきたいことがあるんですね。これは、「とても重要」なことです。

カオスの到来を待つ人には、大別して2つのタイプがあるということです。

1つは、待って待って、待ちわびているタイプです。「そのカオスが旧システムを壊し、高次元を連れてきてくれる」かのように待っている人たち。

毎日のように、カオスの到来を感じる情報を世界中から拾い集めている人たちって結構多いんですよね。

アセンションに興味を持って踏み込んだ世界で、いつの間にかカオスの到来を待望する人に変わってしまっているという例が結構あるんですよね。

アセンションの本質は、ただただスピリチュアル性の向上であり、全てはそれだけの問題なのです。解りやすく言えば、追いかけているとネタもなくなってくるし飽きてもしまうという訳です。

実践を重視すればどこまでも奥が深く魅了的な驚異の世界なのですが、情報のみを重視すればしだいに飽きてきてしまうんですね。

そこで、分離的な旧システムの崩壊に目を向けると、毎日のように世界中からミシミシと軋む音が聞こえてきて、追いかけるにはとてもオモシロイ訳なんですね。そして、スピリチュアルに興味を持ったはずが、いつの間にか世界の崩壊に興味が移ってしまっているのです。

そうした情報を待ち焦がれて追うのではなく、状況把握として捉える事はある意味で大切だとは思いますが、ストーカーのように追いまくるとうのは、ちょっと道を逸れてしまっているように感じられます。

そもそも、そうなってしまうという事には、スピリチュアル的な軸足が自分の中でまだ不安定な状態で、キチンと確立されていないからこそそうなってしまうんですね。

スピリチュアルな軸足がシッカリとしていれば、カオスを待ち焦がれることはありません。

ただ、変化のタイミングとして、カオスの訪れを把握するのであり、どんなにそこに注目しても、スピリチュアルに軸足をおいてそこからタイミングをはかるという意味合いを乗り越えることはありません。

そもそも、カオスは高次元を連れてきたりはしないんですね。カオスはあくまでも混沌であり、その混沌の先に高次元を見出せるかどうかは、完全に自分次第の問題なのです。

だから、大切なのはカオスではなくて、カオスの中から高次元を引き寄せる、自分のスピリチュアルなのです。

スピリチュアルを疎かにして、カオスを待望し続けていると、確実にカオスに飲み込まれてしまうんですね。

待望の大型台風が来て、「おお、スゲェ!」と柱にしがみ付いて窓の外の暴風を眺め、「俺は備蓄も完璧!高台で浸水の心配も無い!」と得意げにしていたら、家ごと空に吹き飛ばされたといった感じですね。

食料を備蓄して、金貨を握り締めていても、物質世界に現れているそうした儚い影はいつまで信用できるか、非常に価値の脆いものなのですね。

だから、どうしても物質世界のカオスを乗り越えるためには、物質世界の外側、つまりスピリチュアル領域にしっかりとした軸足を置いておかなければなりません。

カオスの到来を把握する事も大切ですが、そこに軸足を置いて、本当の軸足(スピリチュアル)を疎かにすることがないように注意してください。

アセンションは、1~100までの全てがスピリチュアル現象です。物質やエネルギー的な現象も様々に現れてきますが、それらの全ても、本質はスピリチュアル世界に端を発しているのです。

9月下旬が直前にまで迫ってきているということで、このブログでも「カオスの到来」を大きく取り上げて来ました。

しかし、それを強調した私の意図としては、「世界の変化を実感し、スピリチュアルの向上に真剣に取り組んで欲しい」という事であることを誤かい無く受け取っていただけたらと思います。

そこで、スピリチュアルに感心を持っていた人が、カオスへと感心を移行させてしまったという様なことが無いように願っています。

カオスを知らなくても、スピリチュアルがシッカリしていれば大丈夫ですが、どんなにカオスの知識をかき集めても、スピリチュアルがシッカリ出来ていなければ、理解したはずのそのカオスに飲み込まれることは、疑いようがありません。

本末転倒にならないように、「人事を尽くして、天命を待つ」ことにしましょう。カオスのタイミングは人事によって追い求めるものではなく、天命として待つものです。