アセンションの時代

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この世界での「ライトワーク」

9月に突入し、着々と時間は過ぎ去っていきます。昨日は部分日食を通過しました。

エネルギー的には9月9日に大きなエネルギーの流入があったようで、私はそのタイミングで強烈な偏頭痛を経験し、2~3日かなりキツイ時間を過ごしました。

昨日の部分日食と23日の秋分では、そのエネルギーがさらに強まりながら定着させる働きがあるようで、この流れのピークとして28日の皆既月食でさらに巨大なエネルギーの流入があるようです。

日常社会においては、取りあえず大きな混乱も無く中旬を通過中といったところですね。

アメリカの金利政策が18日未明にも発表される見通しであり、私はそこでの利上げが金融システムの崩壊の引き金になる可能性が高いとみて注目しています。

世界経済を考える上で、このタイミングでのアメリカの利上げはあり得ず、そうした声は大きいのですが、マスコミが不自然に利上げ予想をサポートしており、「金貸し」達の意図の現われだと思っています。

仲の良い世界であれば利上げはあり得ませんが、仲の悪い世界なので、相対的に相手より有利に立つために、自分さえをも追い込む政策が取られようとしているように感じられます。

エネルギー的なピークは28日にあり、それに前後する時期に「突然に」世界が崩れ始める可能性はこれまで同様に高いと思っています。

例えば、9.11アメリ同時多発テロや3.11東日本大震災を考えてもそうなのですが、それが発生する日のまさに直前の時間まで、私たちはそんなことは夢にも思わず、今と同じように変わらぬ普通の日常を過ごしていたのです。

ただ、ただ・・・、昨日の記事にも書いたように、だからと言ってそれを待望し待ちわびるような事に力を向けるべきではないと思います。

また、だからと言ってそれに無関心を装った方が良いという訳でもありません。

程よい距離で情報に接して、自分なりにそのタイミングを推し量る目安を持っておくことは有益だと思います。

そうしたタイミングをはかりながら、スピリチュアルな成長を推し進め、アセンションの中での自分の流れを把握し加速させていく事が大切なのです。

これまでもそうなのですが、特にこれからの時代を歩んでいく中では、「地に足のついた情報の共有」がとても大切になってくると思います。

混乱の中では、「ネガティブな情報」が噂となって変形しながら拡大し、人々のパニックに拍車をかけると言う事が良くあるようです。

これまでに私は、「自分の中のスピリチュアルに軸足をおく」ようにと繰り返し強調して来ましたが、混乱の中でのその軸足は、あなた個人の軸足に留まらず、周囲の人たちをも含めた集団としての軸足にもなることが出来るのです。

自分のそのスピリチュアルな軸足を、隠すのではなく人々と共に共有して欲しいんですね。

それは、身近なところでは家族の拠り所となるでしょうし、近所の人たち、あるいは職場や地域において、嵐の中で目指すべき港を目指す灯台の光となることでしょう。

これは決して「押し付けるものではない」んですね。押し付けると、必ず「摩擦・抵抗」を引き寄せる事になります。

押し付けなければ受け入れられないようなものは、「光」ではないんですね。

私たちは、その場でただ光を示していれば良いのです。キチンと自分が光として存在する事が出来ているのであれば、右側にいる人がそれに気付き始めるかも知れません。

やがて、左側にいる人もそれに気付くでしょう。後ろの人も、前の人もそれに気付き始め、個人の光が場の光となり周囲の人たちもそれに気付き始めるでしょう。

それがライトワークなんですね。

自分の中にスピリチュアルな軸足をおいている人たちには、誰にでも出来る事であり、それは自然にそとに表れるものなのです。

不安に振り回されて、周りに責任を押し付けイライラと脅え続ける人たちの中にあって、スピリチュアルを保てるそうした人達は、ライトワーカーなんですね。それは、一般的に言われるようなライトワーカーとは少し違いもありますが、ライトワーカーであることには何の間違いもないのです。

そうした光の強さが桁違いに強く、周囲の集団までをも強く巻き込んで、地域社会やさらに大きな社会に強く影響を与え始める人達が、一般的に言われるライトワーカーと呼ばれる人たちです。

そうした大きなライトワーカーは、先に書いたような小さなライトワーカーがどれだけいるかによって、その光を広める環境が大きく変わってきます。

ここで大小という言葉を使いましたが、分離的比較競争によって、これを優れている劣っていると誤った解釈で受け取らないで下さい。それらは役割にやや違いがありますが、どちらもが必要不可欠な存在であるという事が理解する必要があります。

光としての情報を共有していきましょう。

それは、多次元的な意味からもともとは、誰もが完璧な状態で保持しているものなのです。ただ、私たちはこの世界ではそれを忘れてしまっています。思い出した人から次々に、周囲の人達が思い出すのを手伝っていきましょう。

ただ、それは前にも書いたように、「押し付け」であってはなりません。押し付けは相手の学びのペースを無視したものであり、必ず相手のペースを正当化するための理由が表れてくるだけです。

そんな押し売りをしなくても、周りには必ず光を捜し求めている人達はいます。その人たちに合った形でそれを伝えてあげましょう。

そして、スピリチュアルな情報源を紹介してあげる事もとても有益です。本やサイトなどの情報をみんなで共有していきましょう。

それは、それを書いた人間個人の光ではありません。そういう解釈は、エゴからしか生まれません。

例えば、私は私の中に光を見つけ始めていると思っています。しかし、その光は存在の全ての中で繋がっている、私たちの共有財産なのです。

私は私の中でみんなと繋がっている、共有財産としての光を見つけ始めています。この光は、私の光でもあるとともにあなたの光でもあるのです。

あなたは私と言うこのブログを通してその光を見ているかも知れませんが、直接自分の中にこの光を見つけることになるはずです。

私は多くのチャネリング情報等を通してこの光を見てきましたが、今は基本的には直接に自分の中を覗き込んで、その私たちの共有財産であるその光を探求しています。

うまく伝わったでしょうか?これはとても大切な事なので、うまく伝えられていると嬉しいのですが。

私たちは自らの外に現れているものを通してスピリチュアルな光を見て学びを深めて来ましたが、そろそろそのスピリチュアルな光を、直接自分の中に見つけ始めても良い時期に差し掛かっているんですね。

ただ、それは早めのスピードでスピリチュアルを学び続けてきた人の話であって、人にはそれぞれのペースや必要な寄り道もたくさんありますので、焦る必要は決してありませんし、この道は早さ比べの競争ではないということもキチンと理解していきたいですね。