アセンションの時代

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時間の持つ「柔軟性」

私たちにとって、時間と言うのはなくてはならない物差しでした。

私たちは時間によって動き、時間に合わせて変化をしてきた・・・、と思っています。

しかし、実際には時間と言うものは存在してはいないんですね。便宜上、私たちが創り出した概念でしかないのです。

変化は存在しますが、時間は存在しません。

私たちは存在しない時間を創り出し、その幻想に自分たちを縛り付けて生きて来ました。

では、時間が存在しないと言うのであれば、どの様に世界を捉え、どの様に感じ生きていくことが高次元的な生き方なのでしょうか?

私達は永遠と言う「今」の中にいることを感じてみてください。

私たちは、時間を直線的に流れていくものだとして、過去や未来と言う概念を持っています。

そこが落とし穴なんですね。

時間は直線的には流れていないのです。・・・というか、そもそも時間さえないのですが、便宜上、変化を表す言葉として使っていきますね。

例えば、過去や未来という時間を生きた事のある人はいません。過去の記憶や未来の予定があっても、実際にそれを生きている時には、私たちは常に「今」の中にいるのですから。

過去とは変化の辿った足跡であり、未来は可能性なんですね。それは時間の中に存在するのではなく、記憶と想像の中に存在しているのです。

例えばこう考えてみて下さい。

長編小説を読む時、小説の始めから終わりまでの全ては「今・ここ」に存在しています。

それを途中まで読んだ時、主人公の目線からすれば、話の進んだところまでは過去に過ぎ去った事のように感じられますが、より広く読者の視点から見れば、過去も未来もやはり、今目の前の本の中にあるのです。

実は、私たちの世界も同じ事なのです。

私たちは集団的合意により、過去から未来に進む直線的時間を受け入れて、そうした世界を信じ込んで経験して来ました。

しかし、それは私たちの創造している幻想であって、宇宙の真理ではないんですね。

私たちは小説の登場人物の視点で、これまで自分達の人生を生きて来ました。1ページから読み始めて、2ページ3ページと直線的に話の先へ進む事しか許してきませんでした。そうした経験を合意によって受け入れていたからです。

しかし、これからそうした3次元の合意が解けて、4次元あるいは特に5次元以上になると、必ずしも時間を直線的に進める必要は無くなります。

それはカオスのように変化の法則がメチャクチャになるという訳ではなく、過去や未来に自由にいけるようになるという事です。

例えば、多くの高次元の存在達は、そうして、直線時間でいうのであれば自分達の遠い祖先であるこの私達地球にやってきているのです。

宇宙旅行と言うのは、空間旅行ではなく次元旅行であり、それはまた時間旅行でもあるのですね。

そして、世界は無限のパラレルとして存在しているため、無限の中で完全に一致する過去に戻ることは出来ないんですね。ほとんどそっくりだけどわずかに違う過去に戻るのです。

何がわずかに違うかと言えば、過去に戻った自分達がいるという点が違うんですね。

有限で物事を考える私たちには、しっくりと来ないかも知れませんが、それが多次元世界の真理なんですね。

多くの人達が予知夢などで未来を実際に見てきますが、その情報が流れる事によって、見てきた未来からそれはじめる事になるのです。どの程度それるかによって、予知が当たるか外れるかという事になるのですが。

さらに言ってしまえば、黙っていたとしてもその人が見たことによって、それだけで見てきた未来と変わる可能性もあるんですね。

世界的な出来事であれば変わらないかも知れませんが、個人的な出来事であれば充分に変わる可能性があります。

また、そうした事は、全ての個人的な波動において起こることであり、世界と言うのはある意味でとても個人的な話であるのですね。

ちょっと、ややこしくなってきてしまいましたね。

いずれにしても、私たちは世界を1つの物理的な広がりだと捉え、直線的な時間の上を流れていると信じて来ました。

しかし、実際には世界はエネルギー的に無限のパターンを持っており、特に5次元以上の体験の中では、時間をまたいで経験することは簡単な事なんですね。

そして、世界と言うのは「経験」を表すのです。物理的に一までも変わらずに存在し続けるものが世界ではないんですね。それは、単なる幻想です。

今はなかなか理解する事が難しいですが、これまでの「思い込み」を和らげて、デジタルな世界の可能性を想像してみる事は、多次元世界を受け入れるための準備運動になると思いますよ。