アセンションの時代

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ポータルの「レンズを磨きピントを合わせる」

私たちは、内にある源から発せられた光を受けて、外の世界に投影しています。

私たちはその内と外の境に、ポータルとして立っている存在なのです。

しかし、そのポータルである私たちには、2つのレンズが取り付けられています。

「思考」と「感情」です。

私たちは、荒削りですりガラスのようなこの2つのレンズを磨き上げて、この2つを調和的にコントロールさせてピントを調整させる努力を続けなければなりません。

これまでの私たちのレンズでは、内なる源からの光は、ほとんど外の世界へ透過することが出来ずに、光(調和)量が著しく乏しい3次元世界が投影されて来ました。

私たちは、「これは良くない」と気付き始めているのです。それは、3次元世界の中で生き残るために良くないというこれまでの気付きとは根本的に異なり、3次元世界そのものが良くないという事に気付き始めたのです。

そして、光の乏しい分離的3次元世界から光量を上げて、調和的4次元世界を外側の世界として投影するためには、ポータルである私達自身の2つのレンズを磨き上げコントロール下においてピントを調節する必要があります。

その2枚のレンズが、思考と感情です。

この2枚のレンズは、重なり合って機能しているために、一方だけが綺麗に磨かれても、内なる光を外へ適切に投影する事は出来ません。

どんなに思考を磨いても、感情がカーッとなって暴走しては、磨き上げられた思考もどこかへ消し飛んでしまいます。

また、感情が磨かれていつも穏やかにいられても、思考がお座なりとなっていては、どこへも向かうことが出来ません。

私たちがこの2枚のレンズを磨き上げコントロールする上での、指標となるのが「心」です。心はピントのズレ具合に、敏感に反応します。

大きくピントがズレた時には、人々は辛い・悲しい・嫌な思いをします。また、ピントがあった時には、嬉しく・楽しい・高揚感を感じたりします。

私たちの経験している世界というのは、実はこのようにして経験が生み出されているんですね。

私たちは、物理的な唯一の宇宙が存在していて、その中に取るに足らない小さな自分達が存在し、生き残るために一生懸命に毎日をもがいているのだと考えて来ました。

では、なぜそのように私たちは考えてきたのでしょうか?

それは大人たちによってそう教えられてきたからなのです。では、その大人たちは、どうしてそう思ってきたのでしょうか?それはやはり幼い頃に、大人たちによってそう教えられたからなんですね。

そして、大人たちがそう考えるに至った過程の中で、実は意図的なコントロールを受けてきたのですね。私たちが、搾取され支配され続ける奴隷的存在として、相応しい存在であるために。

ただ、ここではそれについてはあまり振れませんが、魂の視点から言えば、私たちはそれを承知でこの世界にあえて学びのために望んでやってきているのです。

つまり、私たちのこれまでの常識に、どうしても固執しなければならない理由は無いのです。

ただ、私たちの思考(3次元マインド)というのは、過去の経験からこの世界での生き残りを導き出す役割を持っていますので、過去の経験に無いものを極端に恐れる性質を持っているのです。

そのため、極度に思考に比重を置いている人は、なかなか新しい世界を受け入れることが出来ないんですね。そういう場合には、心(ハート)に意識を向けて、直すべき問題点に気付かなければならないのです。

こう考えていくと、内も外もその中間に存在するピンとも、全てが1つで自分なのだと言う事が解って来るのです。