アセンションの時代

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「時間」に関するアセンションの罠

エネルギーが競り上がってきているせいか、それとも単なる気のせいなのかは分かりませんが、ここの所、精神的に少し安定を欠いた人が増えてきているような気がします。

そんなに大げさな程ではないのですが、ちょっと安定感を欠いた人が目に付く事があります。そして、そこから隣の人へ、また隣の人へとドミノが倒れるような嫌な感じが少しあります。

かくいう私も、子供から倒れてきたドミノに当たって、自分の中に起こった不安定な波を見つめて、「ふーっ、どうしたらいいもんかなぁ?」と悶々とした感じでいます。

また、それとは関係ないのですが、「時間」の感覚がかなり変わってきています。

直線に流れる時間を、過去から未来へと進んでいる感覚がほぼ無くなって来ているんですね。

最近になって急にと言うよりも、ここ数年の中で確実にその様に変わって来ているのですが、サラリーマンをやめてからはより一層、そうした感覚が強くなっています。

いつまでも「今」の中にいるような感じなんですね。

例えば、過去の記憶についてそれは顕著に現れているような気もします。過去の記憶が、直線時間的な時系列で順番に並ばないのです。

例えば、昨日は子供の運動会があったのですが、1日たって今思い返してみると、昨日の記憶と昨年、一昨年の記憶、そして保育園の運動会の記憶まで含めて、記憶の中での時系列が横一線になってしまっているのです。

昨日の記憶と数年前の記憶とに、時系列による前後感覚があまり無いんですね。

昔は記憶の中で、少しは時系列で並んでいたと思うんだけど、こんなもんだったかなぁ?

未来についても、いつになったら何があるという感覚が薄れてきています。

いつまでたっても、ただ流れてくる環境設定の中で今を経験し続けているような感じで、そのままでいる限り、どこまでいっても同じ経験の焼き直しを繰り返しているような感じですね。

ただ、「自分を変える」ことが出来れば、そこではじめてその分だけ異なった経験が始まる訳であって、そうした変化がこれまでの「時間」に置き換わっているような気がします。

つまり、これまでは「時間」が変化を生み出して来たのですが、今では「時間」は繰り返しを生み出すばかりで何の変化(進歩)も生み出さなくなっていると感じるのです。

例え新しい出来事があっても、そこで経験することは、結局は設定を変えてのこれまでと同じ経験であって、一見すると真新しいように感じても本質的には同じ事の繰り返しなんですね。

「時間」が変化を生み出せなくなって来ているのです。言い方を代えれば、時間が止まって、その止まった時間の中で生きているような感じなんですね。

その止まった時間の中で、再び変化(進歩)を生み出すには、「自分を変える」意外に方法は無いんですね。

つまり、自分をスピリチュアル的に進歩させる事によってのみ、単なる繰り返しになっていた経験が再びより良い方向へと変化し始めるのです。

これまで「時間」をもって変化をはかって来たのですが、いつの間にか「時間」では変化を推し量る事が出来なくなってしまったのです。

「時間」は死んだ・・・って感じなんですよね。

今、少なくとも私の中では、「変化」とは直線的な時間を持って均一のペースで進み続けるものではないんですね。

私の中でこれまでの「時間」にとって代わる「変化の物差し」は、「自己のスピリチュアル的進歩」意外には無くなってしまっているのです。

相変わらず季節は移り変わり、折々の行事が流れては行きますが、そこに生まれる経験の本質はただ延々とした繰り返しであり「変化」が無いんですね。季節や行事により、様々な設定条件に変更が加えられるのですが、経験の本質には何の変化も無い繰り返しなのです。

ただ「自己のスピリチュアル的進歩」だけが、その止まった経験を、新しく前に進めることが出来るのです。

例えばこうした事から感じるのは、現状に満足できていない人がそのままアセンションに挑めば、やはりそれはこれまで同様に満足できない結果を招くと言う事です。

私たちは、「時間が変化を運んでくる」と強く感じていますが、実は時間はもう変化を運んできてはいないんですね。

なぜなら、時間が変化を運んでくるというのは、安定的に3次元世界が継続している状況下において成り立つ、私たちの集合的合意が生み出した経験であり、3次元が崩壊し4次元から5次元以上へと拡大を始めた今の世界の中では、そうした常識はもはや過去のものとなりはじめているのです。

それは、これから訪れる変化ではなくて、既に始まっている変化なんですね。

つまり、時間がアセンションという大変化を運んでくると思い、その時を「待っている」人は、まだ3次元的な世界から抜け出す準備の整っていない人である可能性が高いんですね。

それは、3次元的な発想であり、今はもうそうした世界ではない訳ですし、これからは益々明らかにそうでない世界へとかわって行くのです。

そうしたアセンションと言う変化の中で、3次元的な概念をギュッと握り締めて「待っている」人は、アセンションを熱望しているようでありながら、実は3次元世界をギュッと握り締めて話さない状態にあるんですね。

アセンションという変化は、「時間」によって運ばれてくるものではありません。アセンションと言うのは、「自分をスピリチュアル的に進歩させる」ことによって引き寄せる、自分の「経験の変化」なんですね。

その最大級のものがアセンションなのです。つまり、最大級に「自分をスピリチュアル的に進歩させる」ことによってのみ引き寄せられる経験なのです。

私たちはいつアセンションがあるのかと直線時間における時間、つまり年月日などに感心を寄せていますが、それはアセンションが起こる時ではないんですね。

それは「アセンションに適したタイミング」なのです。

そのタイミングを活かすも殺すも自分次第の問題なんですね。

間違っても「時間がアセンションを運んでくる」とは勘違いしないで下さい。

近い将来にやってくるのは、「アセンションに適したタイミング」であるという事を忘れないで下さい。その一定の期間の中で、そうしたチャンスを活かすか殺すかは、自分次第の個人的な問題なのです。ある意味では他の人達は関係ないんですね。

「自分のスピリチュアル的な状態」のみがそこでの経験を決定するのです。

出来る事なら、少しでも多くの人が調和的な経験世界へと大きく波動を上昇させたいものですね。