アセンションの時代

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「経験を生み出すもの」と「スピリチュアル性の向上」

今日はこけももさんのリクエストで、記事を書いてみたいと思います。

・ 2015年は大きな節目ですが、その人の波動によって見たり体験したりする事が違ってくるのか?
・ スピリチュアル性の向上において一番大切なことは?

この2点について、思っていることを書いてみます。こうしたテーマは、算数の計算のようにカチッと答えの出るものではなく、私の書くものはあくまでも私の個人的な考えであって、当たり前ですが絶対的な答えと言うわけではありません。

そうした点を踏まえた上で、1つの参考として利用し、自分の波動を高めていただけたらと思います。

まず、波動によって見たり体験したりする事が違ってくるのかという事についてですが、これについては2つの視点から考える事が出来ます。

1つ目は、その場その場での意識や解釈によって、同じ時間と場所を経験していても、異なった体験となるのか?ということ。

2つ目は、その人の波動によって、物理的にもまったく異なった世界を経験世界の中に映し出していくのか?ということです。

先に2つ目のほうから軽く説明しておくと、私たちが経験している世界の本質というのは、自らの波動だと言えます。自分の波動が、地球環境と言う波動エネルギーに振れた時に、その意識の中に映し出されるのが私たちの感じている日常世界なのです。

従って、「世界」というのは、物理的な一つの時空なのではなく、自らの意識の中に映し出された「経験世界」なのだと言う事を考えてみて下さい。

つまり、世界と言うのは唯一無二のものではなくて、経験の数だけ、つまり人の数だけ存在しているのです。それは、それぞれに物理的に存在しているのではなく、「物理的経験」として存在しているのです。

従って、私たちはこの宇宙に2つとない自分固有の波動を持っているのですが、それは、自分の内面世界に自分だけの経験世界を映し出して、それを物理的環境として経験しているのです。

従って、自分と同じ世界を経験している人は、この宇宙には他には誰もいません。ただ、地球と言う環境的波動のなかで、自分と似たような経験をしている人達はいます。しかし、同じ経験をしている人はいないんですね。

例えば、今の地球上で、先日の皆既月食にあわせてアセンションしたごく少数の人達がいると思われます。つまり、同じ時間、同じ地球上という環境的エネルギーの中にいても、こうしてそれぞれに自分の波動に基づいて異なった経験をしているのです。

シリアの人達は戦争を経験しており、中国の人達はバブル崩壊を経験しています。ギリシャの人達は財政破綻で、ドイツ等の人々は止め処の無い難民流入を経験しています。アメリカの人達は終末的な自然災害を経験し続けており、それぞれの国の中でも、それぞれの人達はそれらを各自の異なった経験として感じとっています。

例えば、国や地域という環境エネルギー的に近いエネルギーを経験していると、一見して似たような経験をしているように感じますが、決してそのようなことは無く、誰もが異なったものを感じ異なった経験を積み重ね続けているのです。

いきなり多次元的な世界観を前提に書いてしまったので、理解してもらえてるかな?もしかしたら、いきなり振り落としてしまったかな?

最初に2つの視点をあげたのですが、2つとも区別がなくなってしまいましたね。(笑)

もう少し日常的な表現で書いてみますと、経験と言うのは、その人の心の解釈が生み出します。例えば、同じ場所に並んで二人で野球を見ているとします。時間も場所も見ているものも、物理的に言えば同じものです。

しかし、一人は野球が大好きで、選手の一挙手一投足の全てを見て取る事ができ、大興奮でその試合に見入っています。

ところが、もう一人はあまり野球を知らず、選手がただボールを追いかけて走っているくらいにしか見えず、全然面白くありません。

この人達は、同じ時空に存在していながら、違うものを見て違う経験をしています。

これをより本質的に多次元的に捉えていくと、先ほど書いたような波動世界の仕組みが現れてくるということなのです。

ここで多次元的な視点から補足すると、余計に混乱させてしまうかも知れませんが、私たちの周囲にいる人々と言うのは、その本質的な存在たちの影に過ぎないのです。

その人達はその人たちで各自に、自分の経験世界を生きているのです。そして、その人達はあなたのごくごく小さな一側面を捉えて、あなたと言う存在を自分の中に映し出して経験しているのです。あなたもまた、相手のごくごく一側面を捉えて相手のすべてかのように感じて経験しているに過ぎないのです。

このように、私たちはこれまで物理的に唯一の世界に自分も相手も同じように存在して生きてきたと考えて来ましたが、これからは、私たちはそれは実は「自分固有の経験世界」での出来事であったのだということを理解して生きて行く事になります。

従って、全ては自分の反映であり、相手であっても相手の無限の側面の中から、自分が自分の反映として感じ取った性質を、相手として経験しているのであって、結局はそれもまた自分の鏡なのです。全てが自分の鏡であるのなら、そこでは比較する事に意味は無く、自分とその鏡である世界全体を以下に調和的な環境に表現しそれをワクワクと好奇心を持って楽しく経験するかが全てとなるのです。

うーん、分かりにくいかなぁ?ちょっとややこしかったかも知れないですね。かなり?(笑)

次のスピリチュアル性の向上に移りますね。先ほど書いてきたことも、もちろんこれと無関係ではないのですが、シンプルに書いてみます。

「自他を区別すれども差別せず」

これが全てです。

ただ、これを実践するというのが、なかなかうまくいかないんですよねぇ。

相手との関係も考えないと、相手の「依存」を引き寄せる事になってしまったり、逆に「依存」する心が自分に残っていると、相手からの見返りを求めてしまったりと。

そうした自分の内面環境を整えるために、「ワクワクする事に取り組む」ことはとても有効です。ワクワクしている人は、他人に依存する必要がなくなり、それだけで自身の波動を高める事になります。

自分の波動が高まれば、それは余裕となって現れ、スピリチュアル性も自然とのびていくことになります。もともとスピリチュアルと言うのは、無いものを育てるのではなく、自分の中に始めからあるけれど隠れてしまっているものなのです。

従って、ワクワクすることでスピリチュアル性を覆い隠していた依存や妬みなどのネガティブな波動的曇りが取れれば、自然に表に表れてくる物なのです。

同様に瞑想や自然散策も、ネガティブな波動の曇りを無くす上で有効だと思います。

何でもそうなのですが、その根本と言うのはとてもシンプルに出来ているんですね。ただ、それが具体的に様々な環境におかれた時に、動表現すればよいのか頭を悩ますだけであって。

そんな訳で、おなかが空いたので、昼ごはんにすることにします。(笑)