アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

ありふれた日常

電子書籍の原稿を校正しながら読み続けている時間が増えたため、ブログに向かうとホッとして頭の中がカラッポになってしまいます。

さて、何を書きましょうか。(笑)

私の住んでいる所は今日はいい天気です。昨日は、冬を思わせるような風が吹いたりしていましたが、今日はとても穏やかですね。

私は田舎にある団地の中に住んでいるのですが、今、窓の外に広がる小さな庭は、緑に溢れています。芝生と小さな家庭菜園、そして数本の果樹が植えられています(1本は勝手に生えてきたものですが)。駐車場は自分でレンガを敷き詰め、芝や小さな草が隙間を埋めています。

多くの家では、庭は洗濯物を干すスペースとして小さくとり、固められた土と砂に除草剤が撒かれています。駐車場はコンクリートで固められ、緑の入る隙間は無い事が多いですね。

確かに緑のある場所には、夏を中心として勢い良く雑草が伸びるので、そうしたくなる気持ちは良く判るんですね、現実的には。ただ、こうして緑の溢れる庭を眺めていると、心が落ち着きますね。

私は昔から、そうした緑に包まれた風景の、奇跡的な芸術性を感じるんですね。土と緑と光と風、そして水の調和があり、そこに人々が住みやすく適した形に程よく手を入れることで生み出される風景です。

田舎の風景と言うのは、自然の風景だというばかりではなく、自然と人との調和の風景なんですね。そこに住む人々が、生活するために程よく自然を整える事によって生み出される風景が、田舎の風景なのです。

もし、そこに人の手が加えられなければ、それは雑草と木々に覆われた、ジャングルのような事になってしまうのです。

従って、庭の景色も同じ事です。そこに常に手をかけ続けなければ、雑草は伸び、芝生もボサボサに荒れてしまうのです。そして、うちの庭は常にそうした状況に追われる傾向にありましたが、サラリーマンを辞め時間にゆとりが出来始めた事で、ようやく少しずつ草をとり芝を刈ることが出来るようになってきました。

そして、庭を眺めていると、その眺めに愛着が湧いてくるんですね。土の上に、また雑草が小さく生えて来ているのも良し、抜き取った草が土の上でまた土に返るのを待っているのも良し。芝生がまだ少し刈り残されているのも良し・・・。

ああ、そうだ。これから芝生が枯れだすと、フニャフニャになってシャキシャキと刈れなくなってしまうんですよね。

さて、芝生でも刈ってこようかな。