アセンションの時代

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「第三の目」で見る

肉体的な感覚から、エネルギー的な感覚へと主体が移行し始めているなかで、それを主導しているのが「松果体・第三の目」です。

特にそのような感覚の移行を意図してという訳ではなかったのですが、第三の目で見ようとする試みが、結果として肉体からエネルギー体への感覚の移行を先導しているようです。

肉体の目で見る感覚と言うのは、みなさん分かると思うのですが、第三の目で見る感覚と言うのは「夢を見る」感覚だとイメージしてみてください。実際に夢と言うのは、肉体の目で見ている訳ではありませんよね。

こう考えると、漠然とした違いは分かると思うのですが、実際にそれを探求して行くと、具体的にそれがどのような違いによるものなのかが分かってきます。

肉体の目で見るときには、「前」に意識を向かわせます。しかし、第三の目で見るときには自己の内に意識を向かわせるんですね。これが意外と難しいのですが。

私たちは見ようと思うと自然に意識が前へと向かってしまう癖がついています。従って、目を瞑って見ようと思っても、意識が前に向かい、目で捉えようとしてしまうんですね。

しかし、第三の目で捉える時には、松果体の位置で自己の内面に焦点を合わせるようなイメージになります。この感覚の切り替えが、慣れるまで意外と手間取ります。

つまり、これまでにもたびたび書いてきたのですが、肉体からエネルギー体へと感覚を移行させるという過程は、前に向かっていた意識を、自己の中心で内面に向かわせるという方向へ切り替えると言う事なのです。

それはつまり、外に向かっていた意識を、内に向かわせると言う事でもあります。

電子書籍の中でも「全体で捉える」という事を繰り返し書いているのですが、こうした変化を捉えるとき、そうした「部分」をもって全てを捉え、変えようと思わないことです。

存在というのはバラバラなピースの寄せ集めでは無く、様々な側面を持った1つの総合的な存在なのです。

「外に向かう意識」を「内に向かう意識」に切り替えるというのは、「意識」「思考」「エネルギー」「感覚」等々を総合的にそうした方向性へ切り替えるという事であり、その結果として存在世界が外面物質的な世界から、内面エネルギー的な世界へと切り替わって行くのです。