アセンションの時代

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ここにいる意味

小学生のころは優等生のお坊ちゃんでした。(笑)

大人たちに褒められて、児童会会長・委員長・学級委員・班長・・・、片っ端から役がまわってきました。

そして、思ったんですね。「これが褒められるべき理想の生き方であるのなら、生きている意味なんてないじゃん。」って。

「この生き方は違う」って思っていたんですね。

そして、中学校に入って決定的に気づいたんですね。「いい子、いい子は、大人にとって都合のいい子」だってことに。

それで「褒められる」生き方に興味が無くなったんです。

だけど、だからと言ってどこに向かったらよいのかが判りません。

ただやる気の無い高校生活をおくって、専門学校に言ったんですね。このまま大学に行ったのでは「生きている意味が無い」と思ったんですね。

経済・文学・哲学等のいろいろな本を読み続けましたが、どの答えにも限界があったんですね。

「人は死んだら終わり」という。

かと言って、宗教にはあまり興味が無かったのです。

専門学校を卒業するときにも思ったのです。このまま就職したのでは「生きている意味が無い」って。それで、船で中国に渡ったのです。

中国を横断し、そのままパキスタンを縦断して帰ってきたのですが、「経験」することの大切さを学びました。

そして、補助エンジンつき自転車の後ろの荷台に乗りながら、必死に自転車をこぐおじさんの背中を眺めながら、この時代この国に生まれた意味を感じさせられたんですね。

そうした放浪の旅は、今ここにいるからこそ出来た貴重な経験であって、人類の歴史の中でもかつて無い経験を自分はしているのだと感じたんですね。

そして、就職してから「神との対話」に出会ったんですね。地球の集合意識からのメッセージです。

初めてですね。目から鱗が落ちるとはこのことでしょう。これだ!と思いましたね。探していたものを見つけたのです。

そして、離婚をする時にも思ったんですね、「このまま生きてても、意味が無い。」

仕事を辞めるときにも思ったんですね。「このまま生きていても意味が無い。」

結局人は、目的を持って生きているのだと、振り返って見て実感できます。

そう言えば、放浪の旅に行くときにも思ったんですね。「途中で何かあって死んだのなら、それはそれで仕方が無い。それより怖いのは、このまま与えられた生き方を受け入れて生きていくことだ。」って。

結局、人はそうした自らの内からの声を聞き入れないと、流れに逆らって行動をとるということは難しいのだと思います。

例えば、「天才」と言われるような人たちがいます。

そうした人たちというのは、「天才になる事が出来る」人たちではないんですね。「天才にならずにはいられない」人たちなのです。

それは何も天才でなくても、私たちは各自がそうした内なるエネルギーを内に有しているのです。そのエネルギーに逆らって、社会の常識に合わせて生きるというのは、せっかくこの時代この場所この世界を経験させてもらっているのに、もったいない事なのかも知れませんね。