二足のわらじ
これまで私たちは、3次元現実での生きるための現実と、5次元スピリチュアル的な世界への拡大という二足のわらじを履いて生きてきました。
これまでは、地球と言う次元環境が3次元に焦点を合わせていたために、どうしても私たちは3次元現実を生きるための現実と格闘することが、生きることとしての意味を大きく占めていました。
しかし、今や地球環境が大きく5次元領域にまで拡大し焦点を移行させ始めた事により、私たちはこの地球環境の中で、5次元スピリチュアル的な世界を探求することに比重を置いて、現実の世界を生きていくことが出来るように変わってきました。
例えば、私の場合を見て見れば、2012年冬至以前、家庭での生活は壊滅的であり、主夫兼サラリーマンとして、夫婦間のイザコザに対応しながらいっぱいいっぱいの状態が続いていました。
金銭的にも、自分の知らぬところで家庭内のカードローンが拡大しており、それがどのような状態かも把握すらさせてもらえない状態でした。
仕事でも、立場・肩書きで全てが動いているような環境になってしまっており、話し合いや、より良い方法で組織が動くのではなく、ただ、肩書きを持つ者の恫喝でみんなが下を向いて従うような状況になっていました。
そこで、正面きってケロッと正論を言う私は、目の敵にされ遠ざけられていました(笑)。おかげで変に関わらずにすんでいたので、楽でしたが。
それから3年が立ちました。
家庭環境においては、意外とすんなりと離婚することが出来、今は落ち着いた環境にあります。
仕事は退職して自営に切り替え、必要最低限の仕事量で、やりたかった事をやっています。
3年前には、住宅ローンがあったのですが、離婚問題のイザコザの中で、親に立て替えてもらうことになり、今は親に返済しています。無利子にしてもらったので、返済額はこれまでの半額です。
昼間から山の中を散策したり、チャネリング情報を読んだり、ブログを書いたりする時間が増え、ゆとりのある日常だと言えます。
チャネリングでは、この3年間は、自らの選択をハッキリとさせるための時間であると言われて来ました。
住宅ローンが離婚問題の余波で、意図せず金融機関から親へと切り替わったときに、チャネリング情報で、こんな感じの情報を見たのです。
「あなた達は、今、行動を起こして自らの選択を実現する時にあるのです。少し前と比較して見てください。今ではもう、そのための金銭的な負担も解消しているはずです。」
正直、笑えましたね。あれ、よく知ってるね。って感じで。
離婚・転職・引越しなどの大きな環境変化が起きやすいとは、様々な情報源から伝えられていましたが、私はこの期間内に見事に離婚と転職を経験しました。
チャネリング情報に煽られて行動を起こしたとかいうレベルの問題ではないんですね。
そんな緩い理由では、離婚や転職は出来ません。そこには、どうにもならない大きな問題が双方に起こり、避けようも無い苦悩とともに押し寄せてくるのです。
バシャールの情報によれば、私たちはこの3年間に選択したそれぞれの現実という列車に乗って、それぞれのパラレルな世界に向けての旅を発射させました。
2015年は加速の年だと言われてきましたが、それは正確には「加速の始まりの年」なのです。2016年はさらに加速を強めることになります。
日本においては2015年はそれ程の加速を感じませんでしたが、アメリカの異常気象はまさに終末的なレベルであり、中国のバブル崩壊は国民生活を直撃しています。ヨーロッパでは難民が100万人規模で押し寄せており、それを日本に置き換えて見れば、どれ程のことが起きているのかを実感できます。
いずれも解決の目処は無く、常識的に考えても状況の悪化は確実です。
言うまでもありませんが、もう、避けられないんですね。
チャネリング情報では、こうした旧システムの崩壊は散々伝えられており、私たちがその価値観を転換し、まったく新しいあり方へと変容しなければならないと言われているわけですが、実際に現実世界も待ったなしで確実に動いているんですね。
「普通の」人は、「それでも」と不安を誤魔化して、危機が決定的に表面化するまで自分を欺き、間に合わない状況に陥ってからようやく慌て始めます。
それも選択の1つであり、良いとか悪い、あるいは優れたとか劣ったという問題ではありません。単純に、魂のレベルにおいて選択した現実を、私たちはただそのままに経験していくのです。
他でもない自分の魂の選択であり、その選択は健在意識を通して私たちに繋がっているのです。つまり、健在意識において、スピリチュアル的な選択を心がけていけば、それが自分にとってよりよい選択となるのです。
より良い選択とは、自分が選んだ選択です。
それが非効率的な選択に感じられても、その人にはその非効率を通して学ぼうとしている学びがあるのです。
つまり、どのような現実を選択しようとも、それは常に最善の選択なのであり、そうした事実を受け入れ、楽しく魂の学びを積み上げていけばよいのです。