アセンションの時代

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アークトゥルスの回廊

アークトゥルスの回廊と言うのは、次元間を繋ぐものなのではないかと思っています。知識的な情報をあまり得ていない状態で、自分の感覚から推測しているものなので、そうした表現はもしかしたら違っているのかも知れませんが、2015年に入って以降に感じてきた変化は、それに関連しての感覚的変化であったのかも知れないと思っています。

イメージ的な例えを使いますが、私はアークトゥルスの回廊というのは、次元間を移動するエレベーターではないかと思っています。

例えば、3階(3次元)から5階(5次元)に移動しようと思ったら、3階のエレベーターの入り口から入ってエレベーター(アークトゥルスの回廊)の中で階(次元)を上昇し、5階(5次元)でおります。

それは、実際には物理的な場所としてあるのではなく、エネルギー周波数的に自己の内面に存在しているのであり、物理的な肉体を移動させると言うよりも、意識の焦点を移行させるのだと思います。

物理的世界そのものがそもそも幻想なのであり、意識の焦点を異なる次元へ移行させれば、物理的世界はあるといえばあるとも言えるのですが、無くなると言えば無くなるとも言えるのです。

ただ、物理的可能性としての周波数としては消えることなく存在しており、「死」を通過していなければ、私たちはまたもとの物理的世界へ肉体として戻ることが出来ます。

自分の今の感覚としては、3階のエレベーターに乗ったけれど、ドアは開いたままでもちろん他の階にも移動できていないという感じです。

なぜ、エレベーターに乗ったと感じるかと言えば、エネルギー感覚の中に3次元世界が映し出されているという感覚がハッキリとあらわれだしているからです。

この1年くらいは、エネルギー感覚が肉体の周囲に拡大を続けてきましたが、その感覚と「映像」「音」という感覚とが馴染むことなく感覚的に乖離していたんですね。

それでも、視覚・聴覚以外の感覚はかなりエネルギー感覚との馴染みがよく、そうした感覚からエネルギー世界を拡大させ自分に馴染ませていたのです。

それが、ここ数週間で視覚と聴覚がようやくエネルギー感覚に馴染みだした感じがあります。まだ、その他の感覚ほどではないのですが、だいたいエネルギー体として感じるべき雛形を捉えだしたような気がしています。

すると、こうしてエネルギー体をベースとして捉え始めた世界を、周波数的にことなる世界をキャッチすれば、他の世界が映し出されるのではないだろうかと感じています。

先日は視覚的に、何か動いているものを感じられることが続き、意外といいところまで来ているのかも知れないと感じたのですが、それ以降は、視覚に囚われすぎたせいか、視覚的には何も捉えられなくなってしまっています。

私の息子もそうなのですが、いま遊びに来ている姪っ子も、飛びぬけた理解力をもっており、察しや配慮も大人を上回るものを持っています。

姪っ子はまだ幼稚園であり、もちろん子供としての要素は普通に持っているのですが、同じような友達を見つけて本音を出して生きていけるような環境に育ってくれるといいなぁと思っています。

同じような人を見つけないと、本音を出すことを諦めてしまうんですよね。そうなると、本当にある意味で孤独ですからね。察しも配慮もあるので、人との付き合いは上手になるでしょうが、やっぱり本音を出せる友達を引き寄せてほしいですね。

この姪っ子は、私にべったりで常に私の膝の上か、肩の上か、背中に乗っています(笑)。うちの子たちも小学校低学年くらいまではこうだったんですけどね。(笑)

でも、大きくなればなったで、付き合いに味わいがあっていいですけれどね。