アセンションの時代

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薄れ行く「時間」

時間が意味を失い始めてます。

これは、誰がそうで誰がそうではないという話ではないのですが、3次元のエネルギー領域にいる人々の間では、ますます時間は存在感を増し、人々をせきたてるように押し寄せており、4次元のエネルギー領域に移行しつつある人たちの間では、時間は意味を失いつつあり、時間に急き立てられることが無くなって来ていることだろうと思います。

ただ、時間に急き立てられているから3次元に囚われているとも限らず、3次元を振りほどいて4次元への移行を急いでいる人たちも、一層せきたてられて感じるのだと思います。

こうした情報に接する人たちが必要な注意点として、自分は置いていかれるという不安(恐怖)に囚われないという事です。しかし、その一方で、スピリチュアル的な成長を常に実践していく重要性も理解していくことが大切です。

先頭集団として4次元に移行しつつある人たち、あるいは一部の5次元以上を目指している人たちは、3次元世界の「義務」から解放されて、不安等からも開放された状態に入りつつある事だろうと思います。

つまり、現状において、義務に追い立てられることなく、金銭的な不安に囚われることも無く、安定的に自身の「やりたいことに集中できる」環境を手に入れつつあるのです。

こうした状況について考えて見てください。

そうした状況に移りつつある人たちの中では、「時間」が意味を失い始めているという事がイメージできますでしょうか。

義務に追い立てられず、金銭的不安も無い。ただ、やるべき事に毎日を集中していく時、もはやそこには「時間」が存在する意味が無くなっていくのです。

例えば、サラリーマンを辞めて自由業を始めたとします。

朝になったからと言って、起きて仕事に出かける必要はありません。昼になったからと言って、決められた時間に昼食をとる必要もありません。仕事が終わっても、時間までは退社できないこともありません。

生活していけるだけの仕事をしていれば、それ以上の仕事を押し付けられる必要もありません。

生活スタイルにもよりますが、大量消費社会等に乗らなければ、生活のためのお金など、本当に少なくてすむのです。

大半の時間は、「やりたい事」に費やせば良いのです。そこで、ダラケタ生活へと陥る人は、そもそも一見すると4次元のように見えてもその実は3次元的なのです。

こうした時に、私たちを常に急き立ててきた「時間」というものは、かなり意味を失うことになります。こうした人々の日常では、義務に急き立てられることもお金を不安に思うこともありませんので、ただ「やりたいことをやる時間」が延々と日常の中に広がっているだけなのです。

すると、その人にとって大切、あるいは基準となるのは、「自己の変化・成長」という事になるのです。

自己の成長が、時間に取って代わる新しい変化の基準になるのです。

高次元の存在たちは、スピリチュアル的成長を促しながらも、一面においてはこう伝えてきています。「焦る必要はありません。時間と言うのはそもそもが幻想であり、あなたたちは「今」でない時にいることは無いのですから。」と。

つまり、私たちは時間を進んだり戻ったり、平たく言えば時間に囚われて右往左往するということは幻想に囚われていると言うことであり、知に足をつけて現実を生きだすと、時間は幻想として消え去り、自己の変化(成長)こそが新しく変化をはかる基準となるのです。