アセンションの時代

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自分の生き方

私たちの多くは、「人の行き方の真似」をする事に一生懸命です。

親や教師、あるいはマスコミから教えられたことを模倣する事で安心を得ようとしているのです。

本音では「こう生きたい」という思いを持っていても、「人から変に思われるだろう」「金銭的にやっていける訳が無い」「そんなのは流行らない」と言って、「自分を経験する」ことを押さえ込み、「模倣する人生」を選ぶのです。

私たちは、魂として永遠の存在ですが、現在、一時的にこの地球と言う物理世界に意識を集中し、その世界を経験しています。

私たちの現在の視点から捉えれば、この地球上での経験は、誕生によって始まり死によって終わります。

それは、魂としての永遠の時から考えると、ほんの一瞬の出来事であり、それゆえにとても貴重な瞬間でもあるのです。

この貴重な人生と言う瞬間を使って、何を学ぶのかは、各自の自由意志によってしか決めることは出来ないのです。

「自分ではないものの模倣」をする事で、その虚しさを学ぶことも1つの選択ですし、「自分という経験」を伸び伸びと味わって見るのも、また1つの選択肢です。

例えば、「周囲が自分を見る目」を気にする人は多いですが、それもまた、自分の意識がフィードバックされたものなのです。

卑屈になって、人からの評価に意識過剰になっていれば、それに応じた反応が人々から返ってきます。しかし、同じ事を自身を持って堂々としてみたらどうでしょうか?

その時は、堂々とした自分に応じた反応が人々から返ってくるのです。

また、「金銭的に無理」と言うのは、自分を封印する最も手ごろないい訳だとも言えます。確かに、それは支配者たちが人々を押さえ込むための最大の武器の1つだと言えるでしょう。

しかし、その支出は本当に「自分を経験する」ために必要な支出でしょうか?マスコミやそれによって広められた常識に踊らされて、お金を吸い上げられているだけではないでしょうか?

例えば、保存料等がたっぷりの弁当や、冷えたお惣菜、レトルト食品なんて買わなくても、近所の農家の販売所やあるいは八百屋で食材を買ってこれば、新鮮で栄養のある季節の野菜等が安く売られており、温かな食事をお腹いっぱい食べられるのです。

また、屠殺された動物の肉を食べることを控えていけば、それもまた家計にやさしくもなります。食材で値段が高いのは、肉系の支出でもあるのです。

新聞くらいは社会人として取らなければという考え方もありますが、このブログでも再三書いてきているように、わざわざお金を出してまで、ネガティブな情報を引き寄せる必要等ありません。

食器の洗剤など、肉の脂以外には必要ないのです。肉の量が控えられていれば、洗剤など使わなくても、食器は綺麗に洗えるのです。また、同時に地球環境のためでもあるのです。

常識に踊らされること無く、自分の生き方というのをコツコツとこうした日常レベルのあちこちに積み上げていくことが大切だと思います。

私は、サラリーマンを辞めた事で、収入は激減しアルバイト並みの収入で自営をしておりますが、それでも金銭的に困らないのが、実際にそうなってみて自分でも不思議でした。

しかし、よくよく考えて見るとそういう事なんですね。

動物たちのことも気になって、肉は控えめの食生活だったんですね。地球環境を考えて食器洗剤は使わなかったのですが、肉の脂でべったりとなるほどの食事は取らないため、それで困らないのです。

新聞は取らなくても、ネットから情報を拾うので、人とは違う視点から意見を言うことも出来るようになります。

以前は、自分の時間を大切にしたかったので、自分の携帯電話を持っていなかったんですね。今でこそ必要のため持ってはいますが、通話機能とショートメールだけの利用で、スマホではありません。必要ないからですね。

これを我慢して切り詰めてやるのはどうかと思いますが、そうした支出を維持するためにアクセクと働き続けるのもどうかとも思います。

ようは、その人その人にあったバランス点を見出すことが必要なのかも知れませんね。

その時に大切なのが「自分」であって、人の模倣と言う習慣から距離を置く必要があるのです。


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