子供の学び
私の地域では、同じくらいの距離のところに保育園と幼稚園があります。
保育園の園児数は20名程度。幼稚園の園児数は200名程度。
私は当たり前に保育園に子供を行かせました。
※(どちらが良い悪いという意味ではなく、1つの考えとして私はこう考えたという意味で書いていきます。)
保育園は完全に少人数制であり、保育士さんのもとで多くの経験をさせてもらえます。
しかし、幼稚園では、その園児数の多さから、保育士さんにあまり余裕はないでしょうし、順番に何かをするにもノンビリ何回もさせてはもらえないと思うのです。
発表会や運動会でも、保育園にはのどかな雰囲気が漂っているのですが、幼稚園はちょっと雰囲気が違うんですよね。
保育園ではいわゆる勉強はしないんですよね。仮に勉強的な要素が少しあっても、それは遊びの延長にあるものなのです。
しかし、幼稚園では勉強なのではないでしょうか?あまり詳しくは知らないので言い切ってはいけませんが。
保育園は、「のびのびと遊ぶ」所であり、幼稚園は子供なりに「集団行動や勉強をする」ようなイメージがあります。
ただ、幼稚園と言っても色々ありますので、こうしてひとまとめに評価するのは良くないですね。その辺は、私の地域での大雑把な話であり、例外はたくさんあることも理解して読んでもらえるとありがたいです。
伝えたいのは保育園が良くて幼稚園が悪いという事ではありません。何に価値観を置いて子供を育てるのが良いだろうかという趣旨です。
大人たちは、競って幼稚園に行かせたがるわけですが、幼稚園に行けば「何がどれだけ出来るようになった」という目に見える成果が出てくるようですね。
保育園にはそういうのはあまりなく、「今日も元気に遊びました」という感じです。
つまり、そこには「内面にあるものを押さえ込んで、外面から与えられるものに適応させよう」とする教育と、「内面にあるものを引き出そう」とする教育とがある訳です。
どちらの子供が将来的に伸びていくのかは、傾向としては明らかです。もちろん、その他にも要素は多く、それで全てが決まるわけでは当然ありませんが。
小学校に上がれば、「勉強をしなさい」というのは大人たちが子供によく言う言葉です。つまり、幼稚園型なんですね。だから、子供を思って大人たちは幼稚園に行かせたがるのです。
「内面を殺して、外からのコントロールに従う子」を育てようと一生懸命に親たちは頑張っているのです。なぜなら、それは、大人になっても社会の中で続いていくことだから、それに適応させてあげようと思っているのです。
しかし、それは人間としての本質を押し殺してしまうことなんですね。
私は、子供に「(学校の)勉強しなさい」とは言った事がありません。宿題をやらないでいると最終的に機嫌が悪くなって親にあたってくるので、「宿題を終わらせなさい」とはよく言いました。
それ以上に、「宿題をやらないならやらないでもいいから、親にあたるな!」ともよく言いました。
でも、保育園の頃から、「クイズ」はお風呂でも遊びの中でも毎日のようにしていました。それは、いわゆる「勉強」の事なんですね。
保育園の時、お風呂で毎日こんなクイズを出すのです。
「ゆうくんがアメを1つ持っていました。ほのちゃんがアメを2つ持っていました。合わせて何個アメがあるでしょう。」
子供は二人で競争するように指を折って数えます。
お姉ちゃんが「3つ・・・?」
「さあ、どうだゆう。合ってると思う?」
「あってる~!・・・?」
「お~っ!天才だ二人とも天才だ~!!!これ、小学校に行ってから習う足し算ってやつだぞ。もう止めた。クイズはオシマイ。これ以上教えたら、小学校に行ってから習うこと無くなっちゃう。」
「ダメ~!もっと出して。もっと、もっと。」
子供、やる気満々で、毎日それ(勉強)をねだられるんですね。
その弟の方も、先日、小学校を卒業してきましたが、友達が書いてくれた寄せ書きの中に「中学に行っても天才キャラだね」というのがいくつかあったんですね。
宿題が大嫌いで、家では勉強なんてしたこと無いのに、天才キャラでやってるみたいです。
親としては、勉強しなさいとは絶対に言わないんですね。
「宿題が嫌なら、その嫌な宿題を自分なりにどう乗り越えていくのか。サッサと終わらせるか、朝になって追い詰められてから一気に終わらせるか、やらずにいって堂々と怒られるか。嫌な事にどう対応するのか?それが本当の活きた勉強だぞ!学校の勉強なんて、社会に出れば大して役に立たないんだから、頭でっかちのバカになるなよ。」
そう言っています。もちろん、さり気なく褒めることも忘れませんが、もう、褒めるのは友達や先生がしてくれるので、親には次の役割があると思うんですね。
「なんで、時間をかけなくても学校の勉強が出来ると思う?それは、空いた時間を他の事に有効に使うためにそういう人生を選んできたからなんだぞ。何でも良いから自分でやりたい事を探していきなさい。」
常に興味のありそうな本を買ってきたり借りてきたりして、子供の身近に常に置いておき、「ひま~、何かすること無い。」と言う時には、「本でも読めば。」と言って読書に導いてきたり。
それも、子供の時に、散々本を読んであげた所から続いているんですね。
保育園の時に、子供がスラスラと本を読んでいるのを見て。「おおっ、いつの間にひらがなが読めるようになった!?」と思ったら、読んでいる文と開いているページが違っているんですね。
何度も繰り返し読んであげていたので、本の字はまだ読めないけれど、お話を暗記してしまっていたんですね。ケッサクでした。(笑)
これまでは、親がやることを導き提供してきたので、ここからは子供が自分でやること、やりたいことを見つけられるように突いて行くのが役割かなと思っています。
未だに「クイズ出して」が口癖で困っているんですね。もう満足させられるクイズをヒョイヒョイとエンドレスに出せないんですよね。小学校低学年くらいまでなら出来たけど。
最近は、ハッキリと言うようにしだしたんですね。
「もう中学生になるんだから、親に依存せずに、自分で興味のあるものを探していくようにしなさい。」
来週は、久しぶりに子供と車で放浪の(あてのない)旅に出かける予定ですが、何か興味のあるものを見つけてくれたらラッキーという気持ちもあるんですね。
子供は面白いですね。大きくなればなったで、また異なる楽しさがあります。