アセンションの時代

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思考から信念(常識)へ


果樹・菜園を楽しみ始めているのですが、庭に出てそれぞれの果樹の新芽を見て、まいた種に水をまいてと言うのが、これまでの自分の、自然散策と同じ位置づけで感じています。

まあ、一番良い季節でもありますからね、この先、雑草が勢いを増してきたところが踏ん張りどころだとも思っていますが。

今日は、みかんの葉の上で、ミツバチが日向ぼっこをしていました。

これまでであれば、ミツバチが集団失踪するという出来事が世界的に頻発していることから、「おっ、ミツバチだ。」と感じる程度でした。

しかし、何と言うか果樹・菜園を始めてミツバチを見つけると、とても愛おしく感じるんですね。

花から実になるには、ミツバチ等の働きによってそれが受粉される必要があるのです。

また、ヒヨドリが金柑を突きに来たり、ビワの実のなり具合をうかがいに着たりしていたのですが、柿の葉の新芽まで突き始めたのです。

「おい、それは待て!」と追い払ったのですが、この先、そうした鳥たちとの共生のバランス点を見出していく必要もありそうです。

今日は、甘夏をむいて子供がヒョイとつまめるように冷凍して、皮はピールにして冷蔵保存しました。

そして、甘夏ではなく普通のみかんも植えたので、その皮は食べれるのかと調べたのですが、意外とこれが優れもので、漢方薬としての効能もあり、刻んで乾燥させて薬味として使えるそうです。

また、皮の茹で汁が、油汚れや浴槽の洗剤などとしても使えるそうです。

私は普段は台所洗剤は使わないのですが、コンロ周辺の油汚れにだけは洗剤を使い、浴槽もたまには洗剤で磨いたほうが良いのかなぁと思っていたので、収穫後には試して見ようと思います。

また、皮は乾燥保存出来るので、季節に限らず必要なときに使えそうです。

それから、水菜を植えるつもりだったのですが、壬生菜(みぶな)は同じものだと思ってその種を買ってきて蒔いたのですがどうも正確には違うものであったようです。

もともとは壬生菜は水菜から派生したもので同類なのですが、壬生菜の方がやや味に癖があり、漬物等にも向いているようです。

こういう時に、直ぐに(思うように行かなかった)意味を考える癖が付くようになって来ました。

例えば壬生菜であれば、漬物にもむいていると言う事は、より保存が利くという事で、基本的に子供と二人暮らしなので、水菜より壬生菜の方が合ってたんだろうなぁと思えてくるのです。

また、ネーブルが枯れそうになったのですが、もともと実付きが良くなかったので豊産型のものに変えたほうが良いと言う事かなぁと思って色々と調べたのですが、シックリと来るものが無く、しかも殆どの木は植え時を過ぎつつあったんですね。

しかし、灯台下暗しで、普通のみかんの木を忘れていたのです。植え時もちょうど良い時期で、そのために店にも大きな良い苗木が売っていたのです。

ネーブルも余計な枝を掃って、一応植えてあるのですが、必要なら来年芽を出すだろうと思いますし、必要なければ芽を出さないだろうと思っています。

多次元的な信念が、自分の中に定着してきているのを感じます。これまでのように、頭で考えてそう思うのではなくて、それが常識として自分の中に定着した感じです。

いい感じです。

今も、ヒヨドリが金柑を突いて食べています。(笑)