アセンションの時代

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行間を感じ取る

私たちは、ハッキリしたものに縛られる傾向を持っています。

例えば「数字」。

私たちは、把握しにくい個々の知識や力量を「点数や偏差値」として数値化することで、その数字が実力の全てであるかのように誤解してしまうのです。

そんな数字で、個性あるここの知識や力量が表しきれるはずはないのですが、そうしてハッキリと分かりやすく数値化して提示されると、それが全てであるかのように受け取ってしまうのです。

学歴もそうですし、所得というのも同様です。

実際には、それらは無限の存在である私たち個々の、極々小さなほんの一面を捉えたものでしかないのですが、それを数値化して示す事によって、その小さな型枠の中に無限の存在・個性を押し込めてしまうのです。

それは他人に対してもそうであるとともに、自分に対してさえそうしてしまうのです。

まず、わかりやすい例として「数値化」という事でそれを書いて見ましたが、「言葉」もまた同様の事が言えるのです。

あの人は、「良い」「悪い」「やさしい」「ずるい」人だというシンプルなレッテルを貼ることによって、その型にはめて単純化して思い込むことで、物事の解釈を考えやすくしてしまうのです。

しかし、実際には全ての物事は、そんな単純には出来ていません。

私たちは、テレパシーが使えないために、言葉や文字という伝達手段を使って、考え感じたものを伝え合いますが、言葉や文字というのはとても限定された表現・伝達手段であって、その言葉・ニュアンス等を基にしてその後ろの膨大な行間を感じ取ることを意識していく事が大切なのです。

それは、必ずしも言葉的に考え取らなくても良いのです。言葉的に考え取れば、考えとしてはスッキリしますが、結局またそこで言葉に限定された小さな型枠に押し込む事になってしまうのです。

「感じる」という事は、単純で知的でないと思われるかも知れませんが、実は型枠に押し込まれない総合的な情報キャッチ能力であると言えるのです。

これまでは「考える」社会でしたが、これからは「感じる」事が大切になっていくということはよく言われています。

これもまた、切り離された1つの変化ではなくて、全ての変化の中の一部であり全体としての変化なのです。

つまり、「3次元から4次元へ」「収縮自己(エゴ)から拡大自己へ」「分離から調和へ」「思考から感覚へ」というのは、全て共通した変化を異なる角度から捉えたものに過ぎないのです。

これは、言葉や数字は必要ないあるいは重要性が乏しいと言っている訳ではありません。言葉や数字は重要な伝達等の手段であるけれど、そこにのったものが全てではなくて、それを手がかりにその後ろで伝えきれずに待っているものを感じ取っていくように意識していく事が重要だと言うことなのです。

何でも言葉にしようとする言葉化しようとする事には無理があります。特にこれからの新しい世界では、それを表現する言葉が圧倒的に不足しているのが現実なのです。

しかし、私たちにテレパシー能力が開かれてくるまでは、その限られた言葉でいかに効率的に伝えられるか、そして膨大なその行間をいかに感じ取る事が出来るかを意識し、その能力を伸ばしていくことは「自己を拡大する」上で大切な事になるのだと思います。