警告
昨年の秋以降、しばらく様々な環境が一時的な小康状態を見せていましたが、再び状況が大きく動き出そうとしています。
それは、地震等の自然に限ったことではなく、人間社会においても同じ事が言えるのです。自然の変化と社会の変化は無関係のものではなく、密接に絡み合っているんですね。
今回の地震は、そうして再び状況が大きく動き出す事に対する、注意報・警告であるのだと思います。
東日本大震災の時もあわせて思い出してみて下さい。
まさにその直前まで私たちは、何の変哲も無いありふれた日常の中にいました。しかし、その瞬間を境にして、パニックと混乱の非常事態に陥り、揺れが収まると津波、津波が収まると原発事故、そして放射能漏れと、怒涛のように危機が押し寄せてきたのです。
スーパーやコンビニの陳列棚はカラになり、まさにその一瞬を境にして世界が変わったのです。
当たり前の事ですが、当たり前の事ですが、当たり前の事ですが、
ただ、それを恐れることには意味が無い所か、自らの波動を著しく低下させる事でしかありません。恐れる必要はないのです。
例えば、そうした自然災害によるにしろ、金融システムの破綻によるパニックにしろ、いずれにしてもこれまでの世界を成り立たせてきたシステムは崩壊するのです。
それは、新しい調和的なシステムが芽吹くために必要な、再生サイクルの一部なのです。恐れる必要はないのです。
しかし、恐れないことと無視することとはまるで違います。来るべきものは来る訳ですから、それを受け入れて、それにそった行動をする必要があるのです。
こう書くと誤解されやすいと思うのですが、決して「今あるものを放り出して田舎に逃げ出せ」とか「山のような備蓄を蓄えて備えろ」と言うような極端なことを言っている訳ではありません。
自分の現実に合わせて、現在・過去・未来を一体的に捉える中で今を創造していく事が大切なのです。現在を無視して未来に囚われることは、好ましくありません。
また、未来を無視して現在に引きこもることも同様に好ましくないのです。それらを一体的に捉えて、自分の「今」を創造していくのです。
そうした自分の「今」を具体的にどう創造するのかは、「各自に決定権が与えられている」のです。一律にどうしたらよいという答えが用意されている訳ではありません。
ただ、共通して本質的な部分から望まれる方向性というのは存在します。
それは、「ワクワクに従う」「調和的に在る」という事です。
そうした人間としての本質が望む方向性を、与えられた環境の中でどう具体化していくかというのは、各自に与えられた決定権をどう行使するかにかかっています。つまり、どう生きるのかという事です。
私たちは、昨日までの「惰性」で今を生きる傾向を強く持っています。
そうした「惰性に対する警告」を、今回の地震は与えているのかも知れませんね。
電子書籍ですが、アマゾンのサイトのほうにレビューを書いて下さったみなさん、ありがとうございます。忙しい年度末も乗り越えた春の読書シーズン(?笑)に、これまでに電子書籍を読んでいただけた方には、気楽にレビューを書き込んでもらえたら嬉しいです。
気が向いた時に、ヨロシクね~。