アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

激動期への突入

太平洋を取り囲む地域において、ここ数日で火山噴火や地震が連発しています。

また、阿蘇山もそうなのですが、超巨大火山と言われる火山においても、その噴火の予兆が様々に現れだしているようです。

熊本での地震もその地域に留まらず、東へ西へ南西へと震源域が拡大しています。そこから延びる中央構造線上での地震も気になりますし、南海トラフとも無関係ではなさそうです。

一方、人間社会においても、金融・経済的な危機は既に末期状態を呈しており、異常なまでに拡大した格差問題の膿み出しも始まろうとしています。

パナマ文書はその1つの切っ掛けとなり、政治は国民を静めるために、それなりの対策と合意を打ち出すでしょうが、政治に関わる当人たちが参加している問題だけに、政治による解決は「これまで同様に」困難でしょう。

規模の差こそあれ、こうした問題のリークや指摘は、何も今回が初めてという訳ではないのです。

結局、「大衆」が動かなければ、問題は解決しないのです。政治に期待することには、意味がありません。誰が政治を作っているのかを理解しなければなりません。

つまり、それらの諸々1つ1つを追いかけて、不安になったり、対策を講じたりする必要は、ある意味においては無いのです。

それらは、表層的な事柄であり、それに振り回されることは賢明ではありません。

私たちは、多次元的な世界観をこうして学びながらも、そうした知識としての多次元的世界観と、経験としての日常世界とを1つに統合する事に苦労しています。

知識を現実として活かしきれていない傾向を、私たちは持っているのです。

直ぐ目の前にまで迫り、そしてもう始まり出している激動期を小難に抑えて乗り越えていくためには、引き寄せられる現象を考えて予測し資産防衛や備蓄で備えることではないのです。

ただ、そうした備えも「補助」的な位置づけにおいて必要である事には違いありません。それは、マインドの担当するサポート的な対応として必要なのです。

しかし、そのサポートを生かすも殺すも、私たちのハートがどれだけ目覚めているかにかかっているのです。

つまり、スピリチュアル性を覚醒させ、自己を拡大させ「調和的」なその本質を思い出す事が大切なのです。

日常現実において、人々や自然と「調和的」な生き方を身につけるという事が、「本質」なのです。

そうすれば、それに伴う波動の上昇によって、世界の転換期という混乱の中にありながらも、それぞれ自分に相応しい状況で現実が引き寄せられてくるのです。

これが、混乱期に対する本質的な対策であり、実際にはそれは対策という消極的なものではなく、「生きる」という事そのものの目的なのです。

こうして、多次元世界の捉え方を、日常に即して頭に入れることで、不安に駆られ情報を追いかけるマインドを、あまり出しゃばらせずに本来のサポーターの役割に留まらせる事も出来ますし、不安に囚われてスピリチュアル的な目覚めへの取り組みなど忘れてしまうというようなことも防ぐ事が出来ます。

「知識を知識に留めない」という事が、これまでスピリチュアル的な知識を蓄えてきた私たちの、ここからの「課題」です。

私たちは、10の知識を1や2にしか活用出来ていないのです。これからは、その知識を20にも30にも活かして行く事を意識していくといいのかも知れませんね。