アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

今・ここ

「今・ここ」が唯一存在するのであり、そこに意識を集中することが大切だと言うことを、私たちは知り始めています。

スピリチュアルに関心を持つ私たちの多くは、その事を知っているのです。

しかし、私たちの多くは、まだまだ「今・ここ」に意識を集中させる事が出来ていません。

では、「今・ここ」に意識を集中するという事は、どういう事、どう言った感じなのでしょうか?

例えば、「今・ここ」に意識を集中すると、まず、自分が感じられ始めます。その入り口は、まず自分の内面に存在しています。

そこへ入るための方法として、私たちは瞑想という方法を知っています。

私たちが日常と感じている「幻想」を消して、「今・ここ」に存在している自分を感じるのです。見えるものを感じるのではありません。聞こえるものを感じるのではありません。見ている自分、聞いている自分を感じるのです。

しかし、いきなりそれを試みるのではなく、まず、五感で感じられるものから離れて、ただ「今・ここ」に存在している自分を感じることです。

例えば、その自分は「形」を持ってはいません。「色」を持ってもいません。「音」を持ってもいません。私たちはそれを五感によって経験していますが、経験している存在そのものではないのです。

「今・ここ」とは、実は「自己という存在」の事なのです。

そこに意識を集中していけば、私たちは「経験による自己」ではなく、「存在による自己」を感じ始めます。つまり、五感の生み出す経験としてのキャラクター的な自己ではなく、それらの経験の全てを映し出している存在としての自己を感じ始めるのです。

それは、物理的ではなく、物理的世界を映し出しているエネルギー的自己です。

「今・ここ」の正体であるエネルギー的自己の世界には、時間は存在しません。距離も存在しません。ただ、移り行く経験の変化だけが存在しているのです。

私たちはそこで、「世界」を経験しているのです。私たちが経験しているのは、個としてのキャラクターではなく、実は世界なのです。

伝わっていますでしょうか?

「経験」というものが、どの様に生み出されているのかが感じられ始めると、この世界という経験がとても愛おしく大切に感じられ、それを活用し自己の求めるものをその経験の中に映し出したくなってくるのです。

私はこの経験を共有したいのです。

真理に気づいても、ただ自分だけでそれを感じ、伝えても人には理解してもらえず、幻想の世界の中で軽いお付き合いを続けているというのは、結構孤独なんですよね。

孤独というと大げさかも知れませんが、それは、経験として物足りないのです。

ここまで世界の波動が高くなってくると、ここからの変化のスピードは相当に速いものになってくると感じています。

それを、「いよいよ始まる」と受け取らないで下さい。それは、もう「とっくに始まっている」のですから。

数十年というスパンの中で、起承転結の「転」のステージが、いよいよ物理的現象として映し出される経験において加速し始めようとしているのです。