現実を創造する方法
私たちの世界には、現実を創造する方法をマスターし、自らの望む現実を創造してきた人々がいます。
それは、いわゆるネガティブな存在としての支配者たちなのです。
彼らはごく少数の存在でありながら、私たちの知らなかった現実創造の法則を理解し利用することで、この世界の支配を可能としてきたのです。
世界は私たちの「信念」によって創造されています。その信念が「感情」を生み出し、その波動が現実を引き寄せるのです。
私たちは、学校教育によって分離と競争に基づく「信念」を植えつけられてきました。
勉強は面白くないし嫌なうえ、その必要性も理解できないけれど、それに耐えて与えられたものを頭に詰め込まなければ、大人になって競争社会から落ちこぼれ、ろくな人間にはならない。
私たちは、社会からそのような教育を受けては来ませんでしたか?
そうした考えが、私たちの「信念」を形成しているのです。
そして、その信念が「感情」を生み出します。
競争に勝ったから嬉しい。これで自分は報われるのが当然だ。あいつは競争に負けたのにヒョウヒョウトしていて怪しからん。
そうした感情が、さらに同じ波動を持った現実を引き寄せてくるのです。
例えば、巨大災害の可能性があったとします。
すると支配する者たちは、その災害の「脅威・恐ろしさ」に焦点を当てた報道を繰り返します。
すると、ネガティブな信念を埋め込まれた私たちは、ネガティブな感情を生み出すのです。「恐怖」です。
社会全体がそうした恐怖の感情を生み出すと、実際に災害はより巨大な現実となって現れるんですね。
地震や台風等の自然現象は、それ自体は地球が必要として起こしている現象であり、それ自体を完全に無くすことは出来ないと思います。
しかし、巨大な形で起こるのか、分散されて起こるのか、都市部で起こるのか人里はなれて起こるのか。あるいは同じ場所で起きても、それによって大きな被害があるのかより小さな被害ですむのか。
私たちはそうした自然現象に目を瞑るのが良いと言っている訳ではありません。そうした現実をポジティブに捉える事に意識を向ける必要があるという事なのです。
日本での災害には、比較的「美談」が織り込まれ報道される傾向があり、そうしたものに意識を向ける事が大切だと言うことなのです。
問題点を取り上げるばかりで、成功例をほとんど取り上げないために、驚くような素晴らしい事例を私たちは知る事が出来ていません。
報道全体のベースとなっているのは、潰れた人の亡くなったアパートや、土砂に押し流された家々、大きく崩れた山肌と崩れ落ちた大橋などの繰り返しばかりです。
これは、創造の仕組みを理解し、マスコミ等を利用して巧みにコントロールして来たネガティブな存在たちの手法なのです。
私たちは、「感情を利用」するのではなく、コントロールによって「感情に囚われてきた」のです。
そろそろ自立の時間が来ているんですね。
私たちは、自らの感情に囚われて現実をコントロールされている状態から卒業し、自らの感情を利用して、望む現実を創造する事を学ぶ時間に入り始めているのです。
そのためには、感情を生み出している「信念」を刷新する必要があります。