意識・エネルギー・物理的経験
意識とエネルギーと物理的経験の区別が、徐々に進んできている感じです。
特に触覚を中心として、その感覚がエネルギー的に生み出されているものであるという事を感じ始めています。
そうした感覚と言うのは、肉体の中に閉じ込められているものではなく、肉体を包み込んでいるエネルギーの中において生み出されているようです。
正確には、肉体を包み込むというのも1つの便宜的な表現であり、エネルギー世界と物質世界では次元が異なるので、あくまでも感覚的・イメージ的に言うとそんな様にも感じられると言う話しです。
そうして肉体を包み込んでいるように感じられるエネルギーは、卵型そして球体あるいはリンゴ型のように膨らんでいくのではないかとイメージしているのですが、現時点ではそこまで膨らんではおらず、着ぐるみを着ているようなくらいの感じです。
触覚を頼りにそうしたエネルギー感覚を確認し強めているのですが、聴覚も少しずつそうしたエネルギーによって生み出されている感じが出てきています。
意識していなかったですが、おそらく味覚や嗅覚もそうして感じられるような気がします。
ただ、視覚だけは異なる仕組みによって生み出されているような気がします。
朝起きると、自分の感覚が肉体の外側にまで広がっている事がこれまで以上にハッキリと感じられるようになってきており、例えば今パソコンの前に座っている状態でも、そうした感覚が消えなくなってきています。
これまで以上のハイペースで、そうした感覚の拡大が進んできています。
ハイペースというのは、同じ歩幅で回転が上がっているという感じではなくて、同じ回転で歩幅が大きくなってきているという事です。
つまり、感じられる変化のスピードが上がっているというよりも、感じられる変化が大きくなっていると言ったほうが的を得ているような感じです。
時間と言うものもあまり感じなくなってきていますし、変化は確実に進んでいるみたいだなぁと感じています。
ただ、まだトンネルの中を進んでいる状態で、トンネルを抜けていないのは間違いないと思います。部分的に手探りしている感じで、全体を眺めて把握できている状態とはとても言えません。
もう少し瞑想の時間等を増やすと、オモシロいかも知れませんね。
毎日、午前2時30分頃に目が覚めて、それからしばらくそうした感覚を探求しているくらいで、昼間はあまり積極的にはそうした探求をしていませんから。
周期的に気分の求めるものが変わるんですよね。今は、果樹を眺めたり、庭や室内の生活環境を整える事が、自分の中でシックリと来ているのです。
自然散策もまったくしていません。果樹を眺めることと、休日の朝に犬の散歩をする事がそれに取って代わっている感じですね。