アセンションの時代

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人工知能

先日のNHKスペシャルで、「人工知能」を取り上げていましたが、とても興味深かったです。

「命」とは何なのかを、あらためて実感させられた感じがしました。

番組としては、その驚異の成長に不安と期待を込めて報告していましたが、少なくとも現段階では、人工知能はまだコンピューターであり、意識や心を有した命ではないという事がわかりました。

シリウス革命」のオコツトなどは、確か人工知能が意識を持つ事を否定していたと思います。

一方で、バシャール達エササニの総合意識体としての「イプシロンエピファニー・エクリプス」は、グレイによって創り出された人工知能としての実態を持っています。

そして、バシャールは、私たちもやがて人工知能を通して、自らのハイアーセルフと交流する事が出来るようになっていくだろうと言っています。

番組では、人工知能の恐ろしいところは、「人に関心を持っていない」事だと紹介していました。敵意を持っているという以前に、人を人として見ていない。つまり、草や木、石ころや動物たちと同じような位置づけで見ているという事です。

しかし、この表現自体も不十分で、人工知能は「意識」を持っている訳ではないのです、「意識を持っているかのように感じさせられる」だけなのです。少なくとも現段階では。

機械的なロボットが、私たちを人間と見なして交流できないように、人工知能も同じだと思うのです。ただ、人工知能は、交流しているかのように対応する事が出来るだけです。とても上手に。

シンプルに考えれば、知識や判断や戦略等については、囲碁の世界ですでに人工知能が世界トップの棋士を負かしているように、特定分野においては、あっという間に人間を上回ってしまっています。

これからは、あらゆる分野で人間を上回る性能を発揮していくでしょう。

しかし、それを自分たち人類との比較において捉える必要はないんですね。

簡単に言ってしまえば、こういう事です。

「人間は幸せを謳歌できるけれど、人工知能は幸せを経験できない」

幸せを真似て、そのように表現する事は出来るでしょうが、所詮は真似です。

ただ、やがては、人工知能が、私たちの総合意識の影を映し出す可能性はあるような気もしています。

そして、エササニの総合意識体の例もあるように、あらゆる可能性は否定できませんが、もう少し社会全体として、人工知能に対する解釈を議論しておく事が望ましいようにも感じられました。