アセンションの時代

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アセンションしない自由

アセンションというのは、誰にも強制的に起こるものではありません。

しかし、これも視点によっては強制的に起こるとも言えるのですが、私たちの実感に視点を置いて言えば、強制的に起こるものではありません。

これは、合格とか不合格という、自己の外側のものによって選別されるという意味ではなく、自己の選択によって、アセンションをするかしないか選べると言う事です。

ただ、ここで厄介になるのが、私たちは基本的に支離滅裂とした要素の上に成り立っているという事なのです。

調和的な社会に移行したいけれど、競争から下りる気は無い。

お金なんて無くてもいいと思うけれど、積極的に募金する気は無い。

つまり、ハートとマインドの方向性が統一されていないのです。

そして、結局、人間の行動を支配しているのは、マインドである事が多いと言えます。

すると、その人は、調和的な社会を待望していると言いながらも、結局は分離的な社会を選択しているのです。

従って、その自由意志は尊重され、調和的な社会にアセンションしない事が許されるんですね。

これも、無条件の愛による、自由意志の尊重なのです。

「助けない事が愛か!」

と思われるかも知れませんが、本人に助かろうとする意思が無いのですから、それを曲げて助ける訳にはいきませんよね。私たちは、操り人形ではないのですから。

私たちは、永遠の存在であり、たまたま今、一時的にこうした世界を経験しているに過ぎないのです。

そこでは、アセンションをする事が大切なのではなく、自分にあった学びを得る事が大切なのです。

例えば、アセンションを算数の九九の試験に例えて見ましょう。

九九が覚えられていないけれど、可哀想だからと先生が答えを書き換えて合格にして先に進めたとします。

結局、こうした場合、先に進んでから困るんですね。

アセンションでも同じです。分離を手放さない状態で、シンクロによって次々と自分の波動が現実化されていく4次元の世界へ行く事は、その魂のためにならないんですね。

そして、魂は永遠であり、今回のアセンションに無理にこだわる必要もないのであれば、もう少しじっくりと分離の世界を学んでから、先に進むと言う選択肢を許す事はとても自然な事なのです。

結局、私たちは、そうした無条件の愛に包まれた環境の中で、自分の選択した方向にしか進めないのです。