アセンションの時代

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自然霊

昨日は、久しぶりに名古屋の「熱田神宮」まで行ってきました。

これまでにもたびたび書いていますが、やはり私にとって「熱田神宮」と「鳳来寺山」の2ヶ所は特別な所であるようです。

そこを訪れることで、確実にエネルギーの拡大を加速させることが出来る場所です。

熱田神宮では、特に御神木のクスノキの前で長めの時間を過ごします。

大きな樹というのは、大地から地表にエネルギーを放出する存在であり、一時期、連休のたびに車で日本各地を周っていたころには、各地の神社等に寄っては大きな樹の前でエネルギーに浸っていました。

子供の名前も、そうした樹をイメージして名づけてあり、子供には「トトロの樹や日立の樹をイメージしてつけた」と言ってあります。

前回、夜中に熱田神宮を訪れたときには、御神木が動くのが見えたんですね。錯覚というか、異なる次元での動きというか・・・。

幹の低いところが大きなコブの様に膨らんでおりコケが覆っているのです。その前でエネルギーを高めていたら、そこが山の木々が風で1つ1つの樹ごとに揺れているように見えたのです。

錯覚とかじゃなくて、ハッキリきちんとそう見えるんですね。ただ、次元的に異なって、物質的に本当にそう動いているわけではありませんが。

以前、兵庫だったかの方にある、どうしても行きたかった、ちょっとマニアックな龍神を祭る神社へ行った時も、境内の砂利の地面が、龍の鱗が動くように動いて見えて、空には日輪と長く巨大な龍の様な雲が伸びていました。

そう言うのって、自分の世界にエネルギー的な力が関与してきている事を表していると思うんですね。それを神と表現してしまうと宗教くささが出てしまうかも知れませんが、精霊だとか自然霊とか、言葉での表現は何でも良いのですが、物質的ではないエネルギー的な世界の存在という意味です。

富士山の周辺を周って来た時には、「諏訪」の系列の神社をいくつか周って、その1つに寄った時には、目を瞑っていたら、これも解釈しだいなのですが、どんどんトンネルを進んでいくような感じがあり、それは神社に行った時には、神前で目を瞑ると良く感じることなのですが、その時には、龍が自分の中に入ってきているようにそれを感じたんですね。

それ自体は、解釈の問題による所であり、特にどうというものではないのですが、帰ってきて昼寝でウトウトしていた時に、「龍の顔」が完全にハッキリとリアルに見えたのです。正直に言えば、鼻っ面のへんからすぐ目の前に見えたために、角とかは確認できずにワニと言われればワニそのものでもあったのですが、多分、龍であろうと思ったのです。

そして、「ちゃんと諏訪まで送り届けないといけないな」と思って、次の週には諏訪大社をそれぞれに周って来たんですね。

これまでそうした事は、取り立てて何とは感じていなかったのですが、こうして拾い上げてみると、私は自然霊と繋がりがあるのかも知れませんね。

それは何も特別なことではなくて、人にはそれぞれ誰にでも、そうした何らかの守護霊的な存在がついているんですね。

そして、話を戻すと、昨日は熱田神宮に行って御神木のクスノキの前でしばらくエネルギー的に繋がって来たのですが、家に帰ってからも、すぐにその場で御神木とエネルギー的に繋がれるようになったんですね。

自分の前にすぐに御神木と繋がっているときのエネルギーを引き出せるようになったという事です。これも単に表現の問題で、それは御神木という物質的な存在とという意味ではなく、精霊とか大地のエネルギーとか、どういった表現が適切なのかは分りませんが、「自然」に関連するエネルギーであろうとは思います。

これ、物理的な世界観からこう言った話を捉えると、頭がイカレテルとか、逆にスゴイとかいう話になるのかも知れませんが、多次元的に世界を捉えれば、そんなに何というほどの話ではないんだと思うんですね。

こうした多次元的な交流は、こんな稀に欠片の様なレベルで起こるのではなくて、これからはもっと普通に起こってくると思います。

チャネリングなんて言うのは、そうしたハッキリとした例ですよね。

ちなみに、私は生まれが名古屋なんですよねぇ。すぐ近くではないまでも、比較的、熱田神宮に近い所で生まれているような気もするのですが、今度、親に聞いてみよっと。と、何度か思いながらも、いつもそのまま忘れてしまうのですが。(笑)

PS
少し、記事更新のペースを上げるかも知れません。