アセンションの定義
無人くんさんにいただいたテーマがあったのですが、ブログでなくちょっと書き溜めている事が合ってそれで書きたい気持ちが消化されてしまっていたり、子供のことがあったりで、書くのを忘れてしまっていました。ごめんなさい。今日の記事にさせていただきます。
アセンションの定義という事なのですが、言い出せば色々とあると思いますし、キリは無いものですが、それを出来るだけシンプルに考えてみればという事で書いてみます。
アセンションは、次元上昇を意味しています。では、何の次元が上昇するのかと言えば、それぞれ各個人の経験している次元が上昇すると言う事です。
例えば、私たちを取り巻く環境を提供している惑星地球は、すでに5次元へと上昇しているのです。現在の地球上では、3~5次元の世界を経験することが出来ます。
例えば、これまでの3次元しか経験できなかった地球上においても、4次元レベルの波動によって存在することは出来ました。しかし、それはアセンションではないんですね。高い波動で3次元の世界を経験するという事で、経験が4次元に移行することは出来なかったからです。
しかし、今では自分の波動を十分に高めさえすれば、自分の経験世界を4次元、5次元の地球へと移行することが出来るのです。
これまでは、地球という舞台が4・5次元まで広がっていなかったために、3次元を超えるレベルまで波動を上昇させても、地球上で高次元の地球を経験することは出来ず、高い波動で3次元の地球を経験するか、死んで肉体を抜けて別の高次元に転生する必要があったのです。
つまり、地球は既にアセンションして、5次元までの広がりを持って存在しており、3次元の地球は、今後、しばらくの時間をかけて、人間の住めない世界になっていきます。
私たちの多くは、基本的には4次元の世界に、自分の経験世界を移していくことになり、自分が経験している世界が4次元に移行すれば、それが自分にとってのアセンションになります。
アセンションにはいくつかのパターンが存在します。
例えば、一般的な方法は、死ぬことで4次元の世界へ生まれ変わるというもので、今回のアセンションでも、こうした選択をする魂もあると思いますが、全体としてはこの方法は選択されていません。
そして、珍しいケースとして、肉体を伴ったままアセンションすると言うパターンがあります。今回の私たちは、集合的にはそうした手法を選択しています。
そうした場合にも2つの種類があります。
1つは、ごく短期間、数日のうちに全体がガラリと劇的に次元移行するというもので、2012年冬至に多くの人達が期待していたのはこうしたパターンのものでした。
しかし、実際にはこうした次元上昇は、今回の地球においては選択されませんでした。なぜなら、準備が出来ていないために、ついてくることが出来ない人がとても多く存在するからです。つまり、多くの犠牲者が出るという事です。
そのため、今回、惑星地球と人類の集合意識によって選択されたのは、肉体を伴って緩やかにアセンションするというものでした。
それは、数十年の時間をかけての緩やかな移行になります。そのために、あるときを境にして強くアセンションを実感するということは一般的には起こりにくく、気がつけばいつの間にか4次元的な世界を経験し始めていたというものになると思います。
つまり、「次元を移行したという実感はないけれど、子供の頃はテレパシーなんて使っていなかったけど、今はテレパシー使ってるもんなぁ。」と言ったくらいに緩やかなものだと思います。
ある時から、突然にテレパシーを使えるようになるというのではなく、徐々にカンが鋭くなって、察しが良くなり、それが進歩することで気がつけばテレパシーになっていたと言うような過程を、数十年の時間をかけて進んでいくという事です。
今はまだ、3次元への残留を決めた人、4次元への移行を始めた人、5次元への移行を始めた一部の人たちは、お互いに交流することは出来ていますが、以前に比べると、自分より波動が大きく異なった人というのは、身近にいなくなってきているはずです。
そして、今後数年のうちに、自分と波動の異なる人とは完全に合うことが無くなっていくのです。つまり、お互いに存在する次元が徐々に離れて行き、お互いの世界に接している部分が無くなり完全に分離してしまうということです。
この様に、アセンションの定義を知り、経験の中でそれを確認しようというのは、かなり難しいというか、白黒つけにくい曖昧な判断になると思います。
ただ、その時、その時はそうであっても、大きく昔を振り返れば、明らかに明確にそれを実感することは出来るという時期はやって来ると思います。まだ、しばらく先の話になるでしょうが。
つまり、2016年秋というのは、その時に数日という短期間で一般的に多くの人々が劇的にアセンションするという事はないだろうと思います。
ただ、人はみんな、それぞれに異なる魂のルーツと目的を持って、ここに来ているわけであり、みんながそうであるという意味ではありません。多くの人にはそうであるという事で、例外は何にでもあるものだと思います。
期待に沿えるような明確な定義ではなかったかも知れませんが、いちおうこんな感じで考えています。
今日は、続けてもう1本記事を書きます。