アセンションの時代

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本質に帰る

今日は、内緒さんに頂いたコメントを切り口にして、記事を書いてみたいと思います。

自分の中の、3次元的な思考をチェックするというテーマを頂きました。まず、自分で気づいたものをあげて頂いたのですが、参考になる情報だなぁと思ったので紹介させてもらってもいいでしょうか?いいですよね。(笑)

・人より上に立ちたいという考え方
・自分よりいい思いをしている人に対する嫉妬の考え方
・自分のみが正しいと思う考え方
・人から何かを得ようとするメリットに基づいて人付き合いをする考え方
・お金が中心になるような考え方
・人と自分を比べてそれについていろいろと自分が上とか下とか比べる考え方

具体的で解りやすいですよね。

私自身の経験からもう1つ補足してみれば、人より上に立ちたいというのに含まれますが、「情報の出し惜しみ・内緒」でしょうか。

私の場合は、このブログを書き始めた頃に、そうした思いがちょっと出てくる事もありました。これは自分の知識、著作権はどうなんだとか。(笑)

でも、知識って結局は、自分を通して循環し続けるから自分の中に定着するのであって、自分の中に握り締めて滞留すると淀んで使えなくなっちゃうんですね。

それは、お金でも愛情でも同じです。

心臓が、これは俺の血液だから、もう他へは流さないって言ったら、結局自分の首を絞める事になりますよね。自分と世界は一体的に存在している訳ですから、気持ちよく受け取って、気持ちよく循環させる必要があるのです。

それを阻止しようとするのが、3次元的なエゴという事ですね。

まず、新しい世界観の様な抽象的な知識を得たら、それを自分の日常に当てはめて具体的な知識にしてみる。これが、今あげられた知識ですよね。

そして、具体的な知識が理解できてきたら、また「抽象的な本質に戻って」日常を感じるようにしてみるのです。考えるのではなくて。

その本質は、「自他を区別しても差別しない」という事になると思うのですが、普通に全てのことをそうした本質を通して「感じる」のです。

でも、そのためには、まず頭で具体的な場合を考えて自分の中に定着させていく段階が必要なので、考えるのが良いか感じるのが良いかという話ではなくて、自分がどの段階にあるか、次はどういった方向性を意識していけば良いのかという、自分にあった段階を意識していくことだと思います。

情報としての知識から、行動の伴った叡智へと向かう上では、思考的な具体性から感覚的なフィーリングで、押し寄せる日常の波を乗り継いでいくような楽しさが必要なのかも知れません。

頭を使って知識で日常の全てを乗り切っていくには、ちょっとシンドイんですね。

一般的な話として多いのが、ひたすら具体的な知識をどこまでも追求して行き、次のステップに移行しないでいるという場合です。これは、私たちみんなが持っている3次元的な傾向です。

そうした状態に囚われてしまうと、理屈っぽくなったり、人から付き合いにくく思われたりするように、「柔軟性」が失われていってしまうのです。

私たちのスピリチュアルな覚醒の行程として大雑把に次の流れがあるかも知れません。んっ?繰り返しになるかな?まあ、いいや。

1.新しい本質的な考え方を知る
2.それを具体的に色々と捉える
3.実践として身に着けていく
4.具体的な捉え方から、本質的な捉え方に視点が移っていく
5.単純な本質によって全てを見て感じるようになる

一般的に私たちは、具体的に色々な考え方をたくさん探して見につけていきますが、最終的には、そうした具体性から離れて、シンプルな本質で全てを捉えるようになっていきます。

でも、結局そうなるまでには、たくさんの具体例を解釈して自分を高めていく必要がある訳ですが。(笑)



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