アセンションの時代

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調和の前提となるもの

これまでの3次元的な人間の社会には、あまり、「調和」的な関係を感じることがありませんでした。

実は、「調和」というのは、4次元的な関係だと言うことが出来るのです。

では、3次元に存在した調和の様な関係は何だったのか?

実はそれは、「依存」という関係だったんですね。(もちろん、全てがという訳ではなく、傾向としての話としてご理解ください。)

では、調和と依存の違いとは何なのでしょうか?

それは、お互いが「自立」しているかどうか、という所に違いがあるのです。

基本的に、3次元の世界では、人々は自立していません。人々の価値観、社会の仕組みからして、そうした依存を前提とした世界になっているのです。

私は、昔から「孤独」を好むところがありました。もちろん、一時的には寂しくなったり色々な感情が湧き上がる事がありましたが、基本的には心地よい時間は一人の時間、楽しい時間は子供といる時間だと言えました。

依存というと、子供と言うように感じられるかも知れませんが、遊び楽しむことに関して、小さな子供は相手に依存したりはしないんですね。

大人が遊びとは感じない様なことでも、子供は「いい!出来る!自分でやる!」と言って、積極的に向かっていくものなのです。

「どうする~?」「暇だね。」「何をするから付き合って。」

人は大きくなるほど、依存を強めていくんですね。

すると、何か必要なときだけ一緒にいてそれに楽しく取り組み、必要が無くなれば人に縛られずに自分でやりたいことをやる。

世間的には、人付き合いが悪いと見えるかも知れませんが、やることも無いのにいつも一緒にいてもたれ合ったいるというのは、結構、苦痛なんですよね。(笑)

もちろん、一緒にいることがいけないとかと言う訳では決してありません。

「自立」出来た関係であるのなら、一人でいるよりも二人や複数の人といる方が楽しみの可能性は広がるかも知れません。

ようは、一緒にいるいないの問題ではなく、お互いが「自立」しているか「依存」しているかという事が大切なのです。

そして、自立するためには、根本的に自分は孤独な存在ではないという事に気づく必要があるのだと思います。

つまり、3次元的な幻想から、目覚めなければならないのです。

3次元は、物質という経験によって分離(孤独)という幻想を生み出して経験している世界なのです。

孤独が幻想だと気づけば、依存を支えるエネルギーの多くが解消されると思います。



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