感覚の型が消える
ここ、2~3日で起こったのは、皮膚感覚・触覚が特に中心となるのですが、肉体という型枠が外れて、エネルギー感覚の側に感覚が完全に移ったという事です。
これは、突然に移ったのではなくて、これまで時間をかけてそうした感覚を、趣味のように探求してみていた延長として、特に昨日の朝から今日の朝に掛けて進みました。
しかし、そうして進んだ今だから、意識を向けて何が起こったのかに気づくことが出来ましたが、ただ「何か違う」と感じるだけで、直ぐにもとの感覚がどんな感じであったのか思い出せなくなりそうです。
実際に、時間をかけて変わってきているので、もとの感覚がどうだったのかが良くわからないのです。正確に書くと、もとの感覚を思い出す方向へ意識を向けられないのです。そうした方向に力が入らないというか。
こうした事は、エネルギー感覚的な変化の中では良くあることであり、前へ前へと探求を進め続けていると、後ろへ戻るような方向に意識・感覚を向けなれないのです。それは、能力として向けられないというよりも、力が入らないというか、ただとにかく向けられないのです。
葉っぱが小川を流されていく時に、その流れに逆らえないような、葉っぱはもがく事さえ出来ないですよね。
エネルギー体と言っても、その輪郭はうまく感じ取れないのですが、6年くらいかけて進んできたエネルギー感覚の変化は、そのエネルギー体の拡大であり、ハートあるいは松果体を中心として、肉体の外側にまで広がっていることは間違いありません。
ただ、次元が異なるので、正確には肉体の外とか内とか言う事は出来ないというのが正しいと思うのですが、イメージ的には肉体の外にまで広がっている感じです。
そこに五感的な感覚が乗って来た(もともと乗ってはいたのですが、思考によって肉体と言う枠をはめられていたという事だと思います)という事で、例えば過去や未来は存在しない(あるのはただ今)だとか、目の前の現実は幻想だとかという事が、エネルギー感覚的に捉えられることが出てきたのです。意識を向けないとまだダメですが。
それによって、どう対応したら良いのかという事について、これまで自分の中に積み上げてきたチャネリング情報による多次元世界の仕組みが感覚として役立つんですね。
ただ知識として役立つのではなくて、知識・感覚として役立つのです。
「感覚」ってすごく大事だと思います。私たちは、理屈・理屈・理屈で全てを進めようとする社会を生きてきましたが、これからは、「自分の感じる感覚」がとても重要になってくると思います。