アセンションの時代

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2016年秋について(2)

なぜ、2016年の秋を「待って」いてはいけないのでしょうか。

ひふみ神示の中に「旧9月8日」というキーワードが繰り返し登場します。

これは、特定の日を表しているものとしては、突出して強調されており、その文脈と現在のバシャールをはじめとするチャネリング情報との整合性から考えて、「2016年」の「旧9月8日(今年は新暦で10月8日)」と考えて間違いないだろうと思っています。

神示では、この日「までに」掃除しておけよ・始末しておけよと伝えられています。

つまり、3次元的な古い分離的思考(エゴ)を手放しておくようにと伝えているのです。なぜなら、その日が大きな転換点となるなることが示されているからです。

やはりバシャールも、分離的な古い思考を早く手放すことを勧めています。遅くなればなるほどに、それは難しく困難になっていくからなのです。

分離的思考を言い換えると、それはこれまでの私達の「常識」の事なんですね。常識とは、考えることなく当たり前に受け入れている事で、そこに染み込んでいる「分離的性質」に気づきそれを手放すというのは、想像以上に時間と困難を要する事なのです。

例えば、そうした作業を進めてきた人たちと言うのは、スピリチュアルを追求する中で、10年単位での時間をかけて、そうした分離から調和への転換作業を進めて来ているんですね。

それは、2016年の旧9月8日(10月8日)前であったから、そうして悠長に進めることが出来たのです。

しかし、分離的社会の結末として、これから社会システムの崩壊等が雪崩のように起き始めると、「出来事への対応に手一杯」となり、そうした精神性云々という事は言っていられなくなるのです。

つまりそこから先は、基本的にはそれまでに表出させることが出来た自らの精神性で、混乱を乗り越えていく事になるのです。

表層的な思考で「調和がいいに決まってる」と言ったところで、それを深層的な信念にまでしっかりと浸透させることが出来ていないと、これからの混乱の中では結局は争いへと向かって言ってしまうのです。生き残るために。

そして、「そんなのは当たり前」と思うのです。

しかし、深層的な信念にまで「調和への渇望」を浸透させられている人たちは、「そんなのは当たり前」と思いながら、分け合い支えあう調和へと向かっていくのです。

つまり、ここから先は、自分の持つ「常識・当たり前」が、自分の舵をとる事になり、自らその常識を転換(分離から調和へ)させることは難しくなっていくのです。

しかし、それが不可能だと言う訳ではないんですね。

これまでのように、時間をかけて考えて試行錯誤しながら転換することは不可能だと言うだけで、「もう耐えられない」という限界までの苦痛によって、分離を手放し調和を手に出来る可能性は残っているのです。

しかし、それでは大変だから、バシャールもひふみ神示も、「早く」分離から調和への選択の変更を勧めるようにと促し続けているのです。

じっくり思索してソフトな道を選択するのも、痛い目にあいながらハードな道を選択するのも、各自の好みで良い訳なのですが、ソフトと言ってもこれまでに無いくらいのハードな時間になるでしょうから、お勧めはやはりソフトでしょうかね。(笑)

それから、旧9月8日(10月8日)というその特定の1日にこだわらないほうが良いと思います。ある程度の幅を持たせて、「その頃」からという解釈が私達には合っていると思います。

エネルギー的にはその特定日に何かあるのかも知れませんが、私たちにはそうした変化は殆ど判りませんので、だいたいそれを過ぎた頃からという感じが良いと思います。

(ただ、今回は大きく個人差はあるものの、エネルギー的な経験もする人たちがかなり出てくる可能性もあるんですね。その場合には、そうした日や秋分、蝕などの特定日に短期的にそれを経験する可能性が高いです。)

ちなみにバシャールは、アメリカ大統領選挙(11月8日)前には起こる(起こり始める)と伝えています。



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