アセンションの時代

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「自分自身」の波動

私たちの目の前の経験世界って、どの様に出来ていると思いますか?

私たちの「常識」では、この世界は物質で出来ており、唯一であるその世界に肉体である自分が存在していると考えられています。

しかし、高次元の存在たちは、私たちのそうした考えは「幻想」であると言うのです。世界は波動(エネルギー)によって出来ており、そのエネルギーを私たちはたまたま「物質」という経験の仕方によって体験しているに過ぎず、私たち自身も肉体と言う物質ではなく、魂と言うエネルギー的な存在であると言うのです。

(詳しくは電子書籍「多次元世界の仕組み」で紹介しています)

あなたは、どちらを信じますか?

スピリチュアル的な教えについては、高次元の存在のメッセージを信じるけれど、世界のあり方についてはやっぱり「常識」以外には考えられない。

あるいは、実際に世界はエネルギー的なのだろうと思うけれど、実感できないしうまく理解も出来ないのでそれについてはあまり関心を持っていない。この様に感じている人たちは意外と多いのかも知れません。

確かに、理解は自分のペースで進めていけば良いのであり、一般的に順序としてはスピリチュアルなメッセージから受け入れていくのが、理解を進めやすいだろうと思います。

しかし、先へ進めば進むほどに、こうしたスピリチュアルと世界の仕組みというのは、切り離すことが出来ず一体的に存在しているのです。

例えば、これから社会が荒れ始めると、スピリチュアル的なメッセージを信じながらも、物質的な世界観を持ち続けていると、どうなるでしょうか?

必ずと言う訳ではありませんが、そうした場合、「スピリチュアルは大切だけれど、生きていくためには競争して目の前のものを手に入れなければならない。スピリチュアル的にいられる社会が望ましいけれど、今は非常事態でそんな甘いことは言ってられない。」と言うように、結局は「物質的な世界観による競争・争い」へと飲み込まれていってしまう事になりかねないのです。

しかし、エネルギー的な世界観を理解できていれば、現実は「自らの波動が映し出されたもの」だという事を知っています。知っているとは、単に知識として知っているというのではなく、行動までをも伴った信念として知っていると言う事です。

つまり、どんなに混乱に備えて備蓄を積み上げておこうとも、それがエゴによる波動の低いものであれば、結局は預金は紙切れとなり、米蔵は人々に襲われると言うように、その波動に相応しい結果を招くのです。

逆に、十分な備えが出来ていなかったとしても、自らの波動がスピリチュアル的で高い状態にあれば、知り合いの農家の人たちに助けられたり、思わぬ遺産が転がり込んできたりと言うように、その波動に相応しい現実が映し出されるのです。

結局は、物質的にアタフタと神経を尖らせても、自らの波動に基づいて、導かれるべき結果に導かれていくという事なのです。

もちろん、そうは言っても私たちは世界を物質的に経験している訳で、そうした備えに意味が無いという訳ではありません。そうした備えも大切であることは確かなのです。

しかし、どんなに大切であろうとも、そうした物質的な備えで乗り越える波には限度があり、結局最後にものを言うのは、「自らの波動がどうあるか」という事なのです。

私たちは、「理想は高次元からのメッセージ」であるけれど、いざ混乱に陥れば「現実は物質世界の常識」と言うように、「思考」と「信念」との間に乖離があるのです。

信念とは、思考の奥底に広がっているものです。

私たちの多くは、表層の思考は高次元のあり方を受け入れ始めているのですが、その奥底に広がる信念は、まだ物質世界の常識が綺麗に洗い流せていないのかも知れません。

これを全て綺麗に洗い流し、表層・深層ともに高次元仕様に切り替えて現実を生きていくことが、私たちの当面の目標になるのです。

これからの混乱により、私たちの多くは「思考」と「信念」とのギャップに思い悩むことになります。そして、「信念」として残る物質世界の常識を洗い流し、多次元的な現実を深層に広がる信念にまで受け入れていくことで、ネガティブな経験からポジティブな経験へと体験を切り替えていくことになるのです。



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