変化を捉える視点
「調和的システム」芽生えの把握について、書いてみます。
分離的システムの崩壊と言うのは、崩れていく事実を伝えるだけなので、過剰な「怖れ」を
引き起こさないように伝えればそれで良いのだと思います。
ただ、新しいシステムの芽生えを伝えると言うのは、「常識を否定する」要素がより強く出てくるんですね。
それは、「モラル」として捉えられるような常識に及ぶこともある訳で、アッケラカンと何でも出してしまうのが良いとも言えないのかも知れません。
それはともかくとして、そうした新しいシステムを主導するのは、基本的に若い人々であり、若い人々の常識の中に、それを社会的変化として方向付けるだけの力が宿っているのだと思います。
例えば、「クールビス」って、どう思いますか?
暑い季節には、涼しい服装にしようという事ですよね。つまり、惑星地球の自然環境と、調和した生活を心がけようという事なのです。
暑い真夏に、ワイシャツのボタンを上まで閉めて、ギュッとネクタイを締めて、上着まで持って、汗をダラダラとかきながら、これがキチッとした社会人の正しい姿だという社会だったんですね。以前は。
そうした社会では、ノーネクタイの開襟シャツで仕事?気がたるんでる、見っともないとうつるのです。
自然に対して、反発して虚勢を張り、それに耐えることに自分の価値を見出そうとしているんですね。
調和的な思考から、分離的な行動を見る時、そこには「支離滅裂」としたものを感じやすいんですね。
分離と言う幻想を信じ込んでしまっているために、無駄な虚勢・意地を張って、自分を我慢させることに価値を見出そうとしているのです。
しかし、本当はそんな事をする意味は無いんですね。
そういう意味では、この社会にも定着してきたクールビズという流れは、分離から調和への流れと言えますよね。
この様に、そういう視点から捉えられていないというだけで、実は分離から調和への変化と言うのは確実に積み重ねられてきているものなのです。
ある時点、例えば2016年秋までは、100%分離の社会で、その時を境に100%調和の社会に切り替わると言うものではないんですね。
既に、私たちの社会は、調和的社会へと移行するために、既にそれを構築し受け入れていけるだけの下ごしらえは済ませてきているのです。
つまり、このように既に起こっている変化と言うのも、色々とあるんですね。
書こうと思っていた事に入る前に、前置きが伸びてしまいました。(笑)
今回は、これで1つの記事としておきます。