アセンションの時代

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空間とエネルギー

これまでは、空間と言うのは私達にとっての絶対的前提であったと言えると思います。

空間の中に、目の前の世界が展開されており、空間によって様々な経験の舞台が広げられていきました。

しかし、高次元の存在達は、その空間は「錯覚・幻想」であるのだと言います。

それを「思考」的に受け入れて知っている人は、ますます増えてきているだろうと思います。しかし、それを「信念」にまで深めて世界を経験すると、どういった事になるのでしょうか?

実際に、「高次元」を感じ始める実感というのは、「人それぞれ」であるだろうと思います。

例えば、チャネリングから始まっている人もいれば、透視・霊視などから経験し始める人もいるでしょうし、一般的には「勘が良くなる」「察しが良くなる」という経験や、「シンクロが増える」という経験から広がっていく場合が多いだろうとも考えられます。

私の場合は、20年以上前から強烈な偏頭痛が始まり、6年くらい前から気功の気(エネルギー)の感覚が自分の中で動き始め、その偏頭痛と気の感覚が融合しながら、今のエネルギー感覚が深まってきています。

私は、この物質世界が、高次元の存在たちが言うように「幻想」であるのなら、その幻想を生み出しているのは、「視覚」と「エネルギー感覚」によるものであろうと思いながら、それを思索する事が、日常的な趣味のようになっています。

視覚的な映像に合わせて、エネルギー感覚がその他の感覚(触覚・嗅覚・味覚・聴覚)を生み出しているのだと思い、そして感じ始めています。

また、「感情」というのも、エネルギーによって起こっているのだと思い、感じ始めています。

エネルギー的な「感情体」の存在は、古くから日本やヨーロッパでも考えられてきたものです。

話を戻しますと、この自分のエネルギーが、視覚映像に合わせて空間と言う感覚を生み出しているように感じるのです。

例えば、自分の前が開けて、遠くまで空間が広がっているように感じる時、私達は自分の前にエネルギーを集めて、その空間と言う幻想的感覚を生み出しているのです。

逆に、目の前に何かがある時には、空間ではなく、その物のイメージに合わせてエネルギーがそこから感じる感覚を生み出しています。

つまり、自分の持つ「イメージ」が、自らのエネルギーで感覚を生み出すのです。

例えば、同じ食べ物であっても、熱いという事を知っており、そうしたイメージを持っていれば、エネルギーが目の前の食べ物をその様に感じさせます。

しかし、熱いと言う事を知らなければ、熱いではなく美味しいというイメージでエネルギーがそうした感覚を生み出すのです。同じものであっても、それが嫌いな人のエネルギーは、嫌な感覚を生み出すのです。

その時、そうした感覚を生み出しているのは、その物自体ではなく、自らに生じたイメージによるものなのです。

そして、そうした感覚や、触覚や味覚等は、肉体の内部で起こっているのではなく、肉体を包み込んでいるエネルギー体の内部に広がって起こっているのです。

そうした諸々をエネルギー感覚で感じる習慣をつけていくと、自己の主体は肉体からは離れて、「エネルギー的な経験」へと移行していきます。

肉体が生み出す、触覚などは、エネルギー感覚として感じやすいのですが、それに慣れてくると、「空間」という感覚の探求に興味が出始めるのです。

私は昔から、空間を感じる場所(熱田神宮鳳来寺山)が好きであったので、個性がそうして表れているのかも知れません。今でも熱田神宮へ行くたびに、そうした感覚が普段以上に深まっていくのを感じています。

今はまだ、何がどうだとハッキリと理解できるレベルではなく、手当たり次第に手探りしている状態だと言えますが、この秋は普段以上にそうした感覚の拡大が広がりそうですし・・・、瞑想などからそうした感覚を探してみるのもオモシロイかも知れませんよ。



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