アセンションの時代

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Q 魂の永遠性について

魂の永遠性についてのリクエストをいただきましたので、うまく書けないと思いますが、書ける範囲で書いてみたいと思います。

私達は、魂・永遠性(時間)・(肉体的)自分などと言う事についての、3次元的な概念を持っています。

例えば、永遠性について考えて見ましょう。

私達は、「時間」と言うのは錯覚であり、全ては「今・ここ」にあるのだと言う事を、知識としては知り始めていますよね。つまり、時間とは実際には存在しないものだと言う事を。

それってつまり、全ては永遠であるという事なのです。

それを2つの異なった側面から捉えてみましょう。

バシャールは、私達の意識は、常にパラレルリアリティーを瞬間的に移動し続けており、パラパラ漫画の様に目の前の現実を経験しているのだと伝えています。

それは、私達の意識の視点が、前のページ(パラレルリアリティー)から次のページに移動したから目の前の現実が動いていると言う事なのです。

つまり、私達の目の前から何かが消えたとしても、それは、その物が書かれているページから書かれていないページへと意識を移したからであり、書かれていたもの(ページ)が消えた訳ではないのです。

私達の意識はもともと書かれていなかったページに意識を移したので「消えた」と感じましたが、その前に意識を向けていた書かれたページはこれまでどおりそこに残っているのです。ただ、私達が今はもうそこ(そのパラレルリアリティー)を見ていないというだけで。

そして、もう1つの異なった側面からも捉えてみましょう。

海岸でコップに1杯の水を汲んだとします。それが、私達の魂です。そのコップの水を、海へ返したとします。

コップ(肉体)の中には魂(水)が無くなりますが、その水は海の中で永遠に存在し続けるのです。

その海とは、例えば私達のオーバーソウルだとも言えますし、最終的には大いなる全てだとも言えます。

私達は「自分」と言うものに対する認識を、コップ(肉体)やその中の魂(水)にのみ置いていますが、本来の私達は海(オーバーソウルあるいは大いなる全て等)なのです。

海である私が、色々な経験をするために、このコップ(肉体)やそのコップや、あるいは高次元のコップ等に少しの水を入れているのであって、本来の自分は小さな分けられた水ではなく、大きな海なのです。

しかし、入るコップによって色々な経験があり、私達の場合は、そのコップに入ることによってそうした事実を忘却し、分離的な孤独を体験してきたという事なのです。コップの中の水のみが自分なのだと。

私達の思考では、そうしたあり方を完全に理解することは困難であり、だからこそこうした例え話で何となくの雰囲気を感じ取ることになります。

こうした何となく以上の話は、私には分りませんし、もし分った人がいたとしても、きっとそれを表現して人に伝えるのはとても難しいだろうと思います。

そうした事は、人間の枠を超えなければ理解できないでしょうが、私達の思考は人間の枠の中に留まっているからです。

えーと、まぁ、こんな感じです。



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