アセンションの時代

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Q 死刑制度ってどうなの

リクエスト頂いたテーマで、死刑制度の是非について書いてみたいと思います。

死刑というのは、犯罪を犯した人を、この世界から排除すると言う事ですよね。

そこに、更生の意図は無く、悪い者はこの世界から消し去ってしまう事で、この世界は良い者達だけの世界になるという考え方だと思います。

では、戦争や殺人と死刑は何が違うのでしょうか?

もちろん、そこには色々な違いもありますよね。私はそれらをまったく同列に並べて、同じようなものだと言うつもりはありません。

しかし、細かな色々な違いに囚われず、もっとも本質的なところを比較してみるとどうでしょうか?

それらは結局、「悪い者を排除する」という点において共通しているとも言えるのです。

まさにそれが、分離に基づく3次元的な発想なのです。

私達は、これまでの3次元の中の視点から、それでも死刑は必要だと考えるかもしれません。例えば、言う人に言わせれば、更なる犯罪の抑止だとか色々な意味で。

しかし、こう考えてみて下さい。

4次元や5次元の調和的な世界には、「死刑」と言う制度があると思いますか?

おそらくそうした世界、特に4次元の世界では、殺人などをしてしまう程にまで傷つき追い詰められてしまった存在には、適切なヒーリングが与えられる事でしょう。
(5次元にはそもそもそうした問題は存在しないでしょう)

そうした犯罪をしてしまう人々は、魂として、人間として、これまでにそれ程にまでに追い詰められ、その犯罪がもたらす、より広い影響を理解できずに、目の前を極小の視野でしか捉えられない状態にまでなってしまっているのです。

これまで分離的な、ある意味で異常な社会を私達は「普通」と受け入れて生きてきたのですが、それを「普通」とは受け入れられない人たちがおかしな方向へ暴走してしまう事もあるんですね。

実際にそうした視点から、その様に傷ついた加害者を更生させようと言う視点から、死刑制度を廃止して更生に重点を置いた取り組みをしている社会も、実際にこの世界には存在しているのです。

もちろん、それは加害者を甘やかすという取り組みではありません。

加害者は極小の視点から自分を正当化していますが、より広い視点を持つことが出来れば、自分がどれだけ大変な犯罪を犯してしまったのかを理解することが出来るのです。

それを理解出来てしまう苦しみは、その後一生その人についてくるものなのです。しかし、それを乗り越えなければ、本当の意味で罪を償う・カルマを解消する事は出来ないのです。

自分が幸せになるほどに、自分の犯した罪の大きさに苦しむことになるのです。しかし、それを罰として与えるのではなくて、その加害者も社会もがそうした経験を通してともに成長するために必要な事なのです。

ただ、ここで大きな問題になるのが、「被害者達の感情」です。それを「許せない」という、激しい怒りです。

それはそれで、否定するつもりはありませんし、私も同じ立場におかれたのならどう感じるかわかりません。そうした人々にも、やはり社会としてのサポートは必要になってくる事でしょう。

しかし、加害者を死刑により殺したからと言って、その人たちが癒されるものではないと思うんですね。加害者の生死に関わらず、失ったものは帰っては来ないのです。

結局、被害者の人たちが救われるかどうかという事は、巻き込まれた悲劇と向き合って、心の中でそれを乗り越えていけるかどうかと言う事なのです。

社会はそういう意味において、被害者の人々をサポートするべきであって、加害者への復讐をサポートするべきではないと思うのです。

そして、こうした生死を取り扱う制度というのは、その社会の持つ、命に対する世界観がとても重要になってくるのだと思います。

物質主義で肉体こそが命であると考える社会と、肉体としての死後も、魂として命は生き続けていると考える社会とでは、どうしても「死刑」についての考え方が違ってきてしまうのは自然なことなのです。

そういう意味からも、極端な唯物主義のまま死刑制度を議論するよりも、その前に社会に魂を組み込んだ、多次元的かつスピリチュアル的な世界観を浸透させていくことが大切なのです。

それと平行してそうした制度を議論してこそ、議論の意味が出てくるのだと思います。

魂を組み込んだ多次元的でスピリチュアルな世界観とは、つまり4次元的な世界観でもあるのです。

私達の社会制度というのは、私達の心が生み出しているものであり、社会制度を変えるためにはまず、心が変わらない事には始まらないんですね。

私達は現在、多くの場合において「自覚の無いままに」、凄まじい勢いで心をスピリチュアル的に進化させ続けています。

例えば、現在はネット上にも書籍としても、スピリチュアルな情報は膨大に溢れていますね。しかし、30年前はどうだったでしょうか?そうしたスピリチュアルな情報など、どこを探しても殆ど目にする事は出来なかったのです。

スピリチュアルな多次元的世界観など、私達の思考の中には殆ど存在していないに等しかったのです。ただ、部分部分のピースがいくつか転がっている程度で。

バシャールが、それまでに大きな変化が始まると示した、11月8日(アメリカ大統領選挙)まで既に1ヶ月をきっていますね。

私のイメージでは、1~3日くらいの期間に、エネルギー的に疑いようの無い明確な変化があらわれ、社会的にも特に金融・経済において明確な崩壊が始まるのではないかと思っているのですが・・・。

そう思う一方で、これまでも書いているように、9月末からのエネルギー変化によって既にその時に入っているのかなぁ?とも思えなくもないですが・・・。

取りあえず、今の私の捉え方は、9月末から既に助走が始まっており、11月8日頃までのどこかで大きなジャンプがあるのではないだろうかというイメージを持っています。

バシャールの言う11月8日までと言うのも、あくまでも高い「可能性」でと言う話であって、強い期待によってそれに囚われてしまうことが無いように、広い視点で流れを俯瞰していくことを心がけたいと思っていますが。



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