アセンションの時代

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「エネルギー感覚」について

エネルギー状態は、依然として高いまま・・・ではないかと思うのですが。

エネルギー状態の変化というのは、これまでの感覚で言うと、普通の状態が続いている中で上がったり戻ったりと言う事があるために、その変化によって感じ取りやすくなるのです。

しかし、9月末から上がった状態がずっと続いているために、それに慣れてきてしまって、上がった状態にあるという感覚が薄くなってきているのです。

しかし、その一方で、その高いエネルギーが自分の中に浸透してきている事は、強く実感することが出来ます。

つまり、今の状態は、環境的にエネルギーが高いのか、自分自身のエネルギーが高いのかの区別がつきにくくなって来ているという事です。

もう少し言い方を変えると、自分のエネルギーと環境的な周囲のエネルギーとの区別が曖昧で分りにくくなってきていると言う事が言えるのです。

最も強くそれを感じるのは、朝起きた時なのですが、自分の感覚が肉体ではなくて、エネルギー的に感じられるんですね。そして、意識の向け方しだいなのですが、今のように起きている時でも、その様に感じられるのです。

こうした感覚は、突然に始まったものではなくて、以前からの変化の延長に少しの加速があってのものであり、バシャールの言う「全てが変わる」と言うその時そのものではないとは思うのですが、良く分りません。

基本的に今は、そうしたエネルギー的な感覚に意識を向ける事を心がけており、そうすることで、エネルギー体としての感覚を構築する方向性を意識して進んでいます。

チャネリングによる情報も、これまでの単に「知識」としての解釈から、「実感」を伴ったものに少しずつですが変わってきているような気もします。そうしたエネルギー的な世界観という意味において。

自分の感覚として、肉体の外枠を特に感じないんですね。夢に近い感覚とでも言うのでしょうか。夢の中では、肉体としての分離感が希薄で、夢の世界全体を一体的に感じていると思うのですが、それに近い感覚です。

少し前に、熱田神宮に行ったときに、肩甲骨の間辺りから後ろに向かってエネルギー的に扉が開いたような感覚があったと書きましたが、その後に色々な神社を巡りながら、エネルギーに意識を集中してきたことで、エネルギー的に「引っくり返った」ような感覚があるような気もします。

つまり、服をイメージしてみてください。

これまでは、服の中は「夢や心」の世界であり、服の外側は「物理的」な現実世界でした。

しかし、その服が裏返ったような感じなのです。服(自分)の外側が夢や心のエネルギー的な世界に感じられて、服の内側に経験の基本となる物理的なベースがあると言うような。

こうして言葉にしてしまうと、とかく大げさに受け取られる傾向が出てくるとは思いますが、そんなSF的な大げさな変化ではないのですが、実感の伴ったハッキリした感覚の変化であるとも言えます。

ただ、繰り返しますが、これはこれまでの変化の延長に少しの加速があって感じ始めていることであり、バシャールの言うジャンプのときと言うよりは、ジャンプに向けての助走なのではないかと思っているのですが、もう少し経過を見ていかないと分りません。

そうした感覚は、毎朝起きるたびに少しずつ深まっており、興味深いです。

かと言って、日常的な色々な雑事が気にならないかと言えば、そんな事はなく、「あれをやらないといけないなぁ。これもやらないといけないなぁ。」などと思ったりすることも多々あります。

ただ、いざやってみれば、意外とすんなりと出来てしまい、「なんだ、こんなもんか。」と思うことばかりなのですが。だったら、さっさとやれよと、自分に突っ込みたくなります。(笑)

みなさんも、自分の「感じているもの」に意識を集中してみることが、とても大切になってくると思います。

これからは、「考える」時代ではなくて、「感じる」時代なんですね。「考える」場合には外に答えがあるものですが、「感じる」場合には内に答えがあるものなのです。

ここに書いた経験は、私が今感じているものであり、誰に○×をつけてもらう必要も無く、私が感じている真実であることは、誰よりも私が一番知っていることなのです。

つまり、これと同様に、あなたが感じているものについては、あなたにしかその真実を知ることは出来ないのです。それは、誰に○×をつけてもらう必要もないものなのです。

他の人たちが感じているものを参考にすると言うのは、ある程度までは自分の経験を確認したりする上で有効なことではあります。

しかし、「感じる」という感覚は、人それぞれである部分も大きいのです。

結局、最終的に大切なのは、他の人がどう感じているかではなくて、「自分が」どう感じているかと言う事なのです。

私達は、色々な情報を知識として溜め込んで、そこから先に進もうとしない傾向があります。私達の学校教育が、そうであったからなのかも知れません。

しかし、知識を取り込んだら、それを自分と言う存在の中でどんどん活かして、経験を積極的に創造して行く事が大切だと言えるのです。

自分の心臓(ハート)を感じてみてください。

そこに、物質的な心臓を感じますか?エネルギー的なハートを感じますか?

外から与えられて理屈・知識に縛られないで下さい。あなたが感じるものは、あなたが感じているものです。それを、科学や権威など、外側の何者かに決めさせないで下さい。

心臓は心臓として物質的にあるでしょうが、かと言ってエネルギー的なハートは無くて、私達にはそれが感じられないという事にはならないのです。

科学が、心臓の発する電磁場的な強いエネルギーを認めないから、それを感じるのは変な錯覚・妄想だと言う考えを押し付けられる必要はないのです。科学は宇宙の大半を理解で規定ない事は、科学自身が認めていることなのです。

自分で考えたうえで、そんなエネルギーはない、世界は唯物的だと言うのであれば、それはその考えを信じてみれば良いとは思いますよ。

しかし、よく分らないまま、外(学会・権威)から与えられる情報に、自己の感じるものへの決定をむやみに委ねない方が良いのではないかと思います。

あなたは、心臓の位置に何を感じますか?

その感覚は、どの様に広がっていますか?

意識を集中してみて下さい。その時感じられるものが、エネルギーです。

その感覚は、意識することを習慣づけて行く事で、徐々に強く拡大していく事になるだろうと思います。



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