アセンションの時代

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変化

今回も金曜の夜から日曜の夜まで、車でグルッと神社等を巡ってきました。

伊勢→熊野→高野山→奈良です。あまり余裕の無い行程でしたが、各目的地ではのんびりとエネルギーを満喫して来ました。(笑)

先週は、富士山麓の仁枝神社で見た流れ星が印象的でしたが、今回も印象的な夜空を見ることが出来ました。

土曜日の早朝から伊勢と熊野を巡って、日没する頃には熊野三山の締めとして熊野本宮大社を散策していました。

さて、ここでかなり迷ったのです。暗くなってしまったが、時間はそれ程遅くは無い。予定では熊野三山の奥の宮である玉置神社へ行くつもりだったのですが、そこは駐車場から本殿までしばらく山道を歩く事になり、以前行った記憶でも灯篭などの灯りは無かった記憶があったのです。

しかし、ここまで来たのだから行くだけは行ってみようと、取りあえず行く事にしたのですが、この「取りあえず」という考えが甘かったようです。

ガードレールも無いような崖に張り付いたような細い道。もちろん街路灯や街灯りなどあるはずも無く、繰り返される180度急のカーブでは、運転席の横の窓から行き先を探すありさまで、立ちくらみのように方向感覚を失ってしまいそうです。

時々表れる小さな標識には玉置神社12キロとか書かれており・・・12キロ・・・この道を・・・。しかし、折り返そうにも向きを変えられるポイントもなかなか無く、今までの道のりの無駄を考えると、「考えるな!とにかく進め!」と自分に言い聞かせて進みました。

ヤッターマンのエンディングテーマを歌いながら。「頭は冴えてるよっ ヘイヘッヘ~イ! アイデアバッチリよっ ヘイヘッヘ~イ!」

しかし、唯一に近いような分岐点で、カーナビと案内看板が逆方向を指示したりで、到着間近には「とにかく着いてしまえば、もう折り返して高野山に向かえるから。」と言った感じでした。

ようやく駐車場に到着すると、案の定、鳥居の向こうは深い暗闇。街明かりの夜景でも・・・、いや、街灯りどころか村明かりも見えないし。

では、UFOでも探してみようかと空を見上げてもUFOは飛んでこず。(笑)

でも、さすがに星が良く見えるなぁ。いつも見ている同じ夜空にも、本当はこんなにたくさんの星が輝いているんだなぁと眺めていると・・・。あれっ?

あれはもしや「天の川」?

うわっ、マジかっ!あれが天の川。え~っ、この銀河系がこうして眺められるなんて!

超ご機嫌ですよ。(笑)

すぐに高野山に向かって折り返すつもりだったのですが、そこで車中泊しました。すると、真夜中にもチョイチョイと同じような車がやって来て、日の出前には5台くらいの車が止まっていました。さすが、世界遺産の力なのでしょうね。

あと、翌日の大神神社御神体である三輪山への登山が、登頂の申し込みは3時くらいまでだったような・・・と思ってギリギリで言ったら、2時までという事で登れませんでした。

しかし、帰りの車に乗ったところでナビを見て気付いたのですが、これを登っていたら帰宅時間は夜中になっており、母親のところに泊まりに言っている息子の帰宅に色々と支障が出てくるところでした。

また今は、エネルギー感覚を拡大させるためには、身体を動かす登山より、境内でジッとエネルギーを感じる事の方が有意義な状態にあり、やっぱりこの世界の物事はうまく出来ているものだなと感じました。

最近は、思うように行かなかった時にこそ、それで良かったのだと感じさせられることが多くなっており、この次元世界のエネルギーの高まりのせいだろうなぁと感じています。

そして、エネルギー感覚の方ですが、半端無く加速しています。

これまでの課題の1つは、エネルギーを強く感じようとすればする程に、身体的に力んでしまう場所、例えば首筋や手のひらなどがあり、それは理想的ではないと感じていました。

しかし、その様に力まないと強く感じる事が出来なかったのです。

ところが、全体のエネルギーの強さがある一定の規模を越えた事によって、今度は力むとエネルギーがうまく感じられない様になって来たのです。

これまでは、点や線でエネルギーを感じていたものが、面・全体としてエネルギーを感じるようになって来たのです。これまでもその傾向は出てきており、時々そう書いてきたのですが、そのスイッチがハッキリと切り替わったという事が言えます。

より正確に言うと、面と言う表現も正しくなくて、自分の後方も含めた、肉体を包み込む球としてエネルギーを感じてきています。

ただ、まだ球全体を同時に球体として感じる事はあまりうまく出来なくて、前方のエネルギーを感じると後方を感じにくくなり、後方のエネルギーに意識を向けると前方は感じにくくなります。

ただ、取りあえず次は、近いうちに球として全体を同時に感じられるようになるだろうと感じています。

9月末からの、こうした感覚の変化の急加速は、既にバシャールの言っている「2016年秋に全てが変わる」と言う変化の1つであろうと受け取れるレベルになってきています。

当初のイメージとしては、特定の瞬間あるいは数時間から1日程度の短時間に、劇的な変化が表れるのだろうかと、ただ漠然と思っていたようなところがあったのですが、実際には今のところ1ヶ月程度の時間をかけてそれなりの変化が表れてきています。

この辺でいったん治まって来るのか、それとも新たなる展開があるのかは現時点では何とも判りません。取りあえず、今の感覚に集中していれば、その内に結果が出てくるだろうと思っています。

この、エネルギー感覚をベースとしたエネルギー的なあり方は、多次元的な世界へ踏み込んでいくためには、根本的な土台となるあり方だと感じて来ました。

つまり、これまでは、肉体的な土台の上に、部分部分でエネルギー的なものを感じており、エネルギー世界が開けていくと言うイメージを持つことが出来なかったのです。部分的な穴から、ちょっとエネルギー世界を覗いているというような感じで。

しかし、それが穴から覗くのではなく、エネルギー世界を覆っていた幕全体が取り払われてきているような感覚があるのです。

まだ、全てが取り払われて、エネルギー世界に解き放たれたと言う訳ではもちろんありません。ただ、そうした可能性を意識できる所まで来始めていると感じられるようになってきているのです。

視覚以外の感覚が、エネルギーによって生み出されている事が感じられるようになってきており、視覚は他の感覚とは異なり、エネルギーの生み出す経験の元になる鋳型となる感覚であると言えます。

つまり、3次元物理世界の設計図と言うか、3次元世界を主導的に生み出しているものは、視覚であると言えるのかも知れません。エネルギーがそれに乗って、経験的感覚を生み出しているような感じです。簡単には、うまく表現できませんが。

話は少し変わりますが、ここしばらくの事なのですが、過去の自己嫌悪に陥るような経験の記憶が、何の前触れも無くフッと頭に浮かんでくる事が時々あります。

眠っていたような、埋もれていたような古い記憶が、何の関連も無く突然にフッと頭に浮かんでくるのです。

これも、エネルギーの高まりと関係があり、洗い流されている所なんだろうなぁと思います。抵抗せずに、受け入れて消化するのが良いんでしょうね。具体的に細かくでは無く、本質的な部分で大雑把に。

さて、ところでこの世界の社会的な変化は、どのように表れて来るのでしょうかね。

金融・経済・自然などは、カチッと限られた期限が無く、ズルズルと先延ばしになっていますが、アメリカ大統領選挙は、11月8日という日時が確定されており、やはりそれは1つのターニングポイントとしての大きな目印になると思います。

「先」に依存的に期待するのではなく、「今」に集中しその中で自らのタイムラインのその先を感じられていくと良いのかも知れませんね。



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