アセンションの時代

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「感謝」の気持ち

学ぶべきテーマを決めて、集中的にそれに関連する出来事が畳み掛けてくる事が時々あります。

少し前に立て続けに2回その様な事があり、自分の内面において問題をクリアすると、ピタリとそうした出来事が来なくなります。

そして、ここ数日でまたそうした出来事が立て続けに起きています。

出来事はそれ程たいした出来事ではないのですが、精神的には疲れと言うか虚脱的な低波動が広がって来ます。

前回は、異なった考えをぶつけられた時に、相手を説き伏せようとするのではなく、お互いの違いをそのまま素直に受け入れれば良いと気付くことがテーマとなっていました。

今回も似た様な感じでよりソフトなテーマなのですが、前回のように相手が挑戦的ではなく、普通に日常で接する中で、双方に大きな常識の乖離があって、お互いが関わる物事があるために、ただ違いを受け入れると言うだけではすまない状況なのです。

ぶっちゃけて言ってしまうと、家の外壁塗装をお願いしているのですが、ミスで外壁に引っかき傷を付けてもとの塗装まで削れてしまったんですね。玄関の所を。

やいやい、やってくれちゃったなぁ・・・。と思いながらもまあ、仕方ないから許して適当に修理してもらえればいいや、と思っていたのです。

ところが何も言ってくれなくて、こちらから指摘しても、誰かがつけた傷をサービスで直してくれるような言い方なんですね。

その時点で、相手はまず自分がやったとは思うけれど、100%の確信は無いみたいな感じだったようです。今は100%理由もハッキリしたのですが。

家の壁はクリア塗装と言って、下地の柄を残して透明な塗料を塗っているので、下地の柄の損傷は上から塗りつぶしてOKとはいかないのです。

修理もとても簡単そうな言い方をするのですが、どう考えても、ある程度の(と言うかそれなりの)傷のラインは残ってしまう事は確実なのです。

それでもどうしようもないので、それはそれで仕方が無いのですが、「すみませんでした」の一言もなしで、そう言う人もいると言う事で終わらせればいいのかなぁ?と言う思いが頭の中でグルグルと周り続けるのです。

強く出て謝らせると言うものでもないと思うんですね。そもそも、謝るとはそう言うものではなく、相手の内側から出てくるものだと思うのです。

では、運が悪かった、そう言う人もいると言う事で終わらせれば良いのかと言えば、それでは自分の中で気持ちが消化し切れないんですね。(ここがポイントです)

ではでは、相手に対応の仕方を教えれば良いのかと言えば、結局それは自分を相手に押し付ける事になると思うのです。既に最低限の指摘と、気付きの機会はぶつけてみたので、あらためてさらに上乗せで押し付けるのも違うと思ったのです。

結局、そこは個人事業所で、父から婿殿へ仕事が引き継がれており、婿殿が何とか自分の範囲内で何事も無かったようにカバーしたいと言う思いで頭がいっぱいなのかも知れません。

そこで、取りあえず「ここの修理だけは、お父さんにやってもらうように頼むね。」と補助的に時々仕事に参加しているお父さんを絡める事にしたんですね。

それでようやく、自分で傷の原因を特定して、それを説明して一応は謝ってくれたという感じなんですね。

まあ、取りあえずは、これで自分の中での気は済んだのですが・・・。まあ、自分的価値観としては、無難に対応できたような気がしないでもないのですが、どうも腑に落ちないんですね。

まだ、テーマをクリアしていないと言う思いが、強く引っかかっているのです。

それで、バシャールの動画を見ていて、フッと気付いたのですが、自分に「感謝」が欠けていると思ったんですね。

家一軒の外壁塗装を、自分の代わりにしてくれたと言う事に対する、感謝の気持ちが欠けていたのです。

そうは思ってはいないつもりでも、「お客様は神様です」という傾向が私達にはあり、お金を払う側が上から目線になりがちな傾向があると思うのです。

自分の中にその感謝を感じる心を思い出せば、何の引っかかりも無くスッキリとした気持ちになるのです。

もちろん、相手の対応には問題があり、それはそれとしてあるのですが、あくまでもそれは相手の問題であり、私の問題ではないのです。

私が直すべき点は、相手の問題ではなくて、自分の問題なんですね。

こうした「感謝」の気持ちは、金融システムが混乱するこれからの時期においては、とても大切になることだと思います。

これまでは、お金を握ったものが強かったのですが、そのお金が力を失った時、経済の本当の姿を私達は実感し、それに感謝する事になるのだと思います。

つまり、経済とはマネーゲームではなく、生産でありサービスでありそれらによる支えあえなのです。

そうした意識の切り替えは、数年~数十年をかけて、これから広く社会全体に広がっていく事になるだろうと思います。

まあ、相手には、うまくタイミングが合えば、笑いながらこっちの気持ちの推移を話しておこうかと思っています。



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