アセンションの時代

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Q メッセージの解釈について

頂いたテーマで、バシャールからのメッセージの解釈について、私なりの解釈を書いてみようと思います。

バシャールは、私達はこれからも、様々な機会(この場合は、先駆者の波動に慣れ親しむ事)を捉えて、ますます感覚や思考の波動を上昇させていくだろうと言っています。

しかし、全ての人が足並みを揃えて、横一列に並んで進んで行くという訳ではないという事なのです。例えば、とても大雑把な言い方になりますが、単純にわかりやすくするために、3次元・4次元・5次元の各波動域を進んでいる人たちがいるとします。

私達はこれまで、基本的に3次元と言う共通した波動域に存在して来たのですが、既に私達は3~5次元の広がった波動域の中で、自分に合った波動を捉えて世界を経験し始めているのです。

すると、それぞれの持つ波動によって、目の前の世界が異なって捉えられる事になります。

例えば、3次元の波動によって捉えれば、「上に従う」事が「正しい」事であり、「競争」によって社会を発展させるために、自分を「押さえ込んで」「頑張って」働き続ける必要があり、今ある(搾取的な)社会システムを崩壊から守らなければ大変な事になってしまう、と言う事になります。

しかし、4次元の波動によって捉えれば、実はこれまでの社会は人々を幸せにする事を目的としていないシステムの上に成り立っていたと言う事に気付き始めます。すると、新しい調和的な社会を実現するためには、今ある搾取的なシステムが崩壊する必要があることを理解できてくるのです。つまり、これまでに見えていなかった社会の真実が見え始めているのです。

さらに、5次元の波動によって捉え始めると、これまでの分離的な社会の仕組みと人間の思考傾向を理解した上で、さらに感覚的に物質世界をその外側から捉え始める事になります。感覚的に、異次元を捉え始めたり、物質世界を包み込む自己のエネルギーを感じ始める事になります。

すると、これまで普遍的だと信じていた物質世界を、まるで異なった視点から捉える事になり、キャラクターとして囚われてきた低い波動がナンセンスに感じられて、そうしたキャラクターとしての苦悩や騒動に同調する事が出来なくなってくるのです。

ここでは、とても大雑把に3つの波動的視点を例として書いてみましたが、実際には3~5次元以上の波動領域において、無限に広がる波動の中から、全ての人はそれぞれに固有の波動によって世界を捉えているのです。

その時に、波動が大きく異なった人に自分を理解してもらおうと言うのは、不可能である可能性が高いという事なのです。

例えば上の例で、4次元の波動域の人が3次元の波動域の人に、実はこの世界は支配・搾取的なシステムが構築されてきていたと言う事を必死になって訴えれば、3次元の人は4次元の人を変な陰謀論に取り付かれてしまったと感じる事でしょう。

同様に、5次元の波動域の人が4次元の波動域の人に、感覚的に次元を超え始めているような不思議な経験を理解してもらおうと訴えれば、4次元の人は5次元の人を、新しい世界観にあまりにも深くのめり込み過ぎて、オカルト的なちょっと変な方向に行ってしまったと言うように感じる可能性が高いのです。

近い波動域の人同士であれば、じっくりと話し合う事で理解しあう事も出来やすいのですが、波動域が大きく異なると、話せば話すほどにお互いの捉え方の違いがますます浮き上がってくる事になり、波動の粗い(低い)側の人が波動の繊細な(高い)側の人を「異常」として片付ける事になりやすいのです。

波動の繊細な人は、以前は粗い状態を経験しているので、相手の解釈が理解できるのですが、波動の粗い人は繊細な視点を経験した事が無いので、理解出来ずに自分の理解の範囲内で「異常」として片付ける事になりやすいのです。

そう言う意味で、新しく繊細な波動領域を進み始めている人たちの経験は、多くの人たちにとってはまったくもって理解不能であるとされる可能性が高いのです。しかし、だからと言って心配する必要は無いとバシャールは言っていると言うわけです。

提示いただいた記事については、私はこのような感じで解釈しています。

後は、頂いたコメント内では具体的にわかりませんので、自分で要点になるかなと思った事を少しだけ挙げさせてもらいますね。めるころさんが理解できていないと思って書く訳ではなく、一般的な解釈の上でのポイントとして挙げて見ます。

まず、「自他の一体感」を感じるようになったと言うのは、進歩だと言えますよね。ただ、それも、取りあえずそれについては唯一のゴールに辿り着いたと言うものではなく、これまでより一歩上の視点に進めたと言う事ですよね。大いなる一歩ですが。

全ての事について言えることですが、常にさらに一歩上の視点があります。4次元の視点から捉えられれば、次は5次元の視点、次は6次元の視点・・・・、と言うように。実際には1つの次元の中にも無限の段階的な視点があるのです。

それから、「特別」と言うのは優劣を表す言葉ではなく、個性を表す言葉なのでしょうね。存在する全ては個性的であり特別だと言えますが、より個性的であると感じる時に、特別と言う言葉を使いますよね。

互いのワクワクを100%理解する事は不可能ですし、その理解が何%かと言う事にこだわる必要は無いのかも知れませんね。

自分はワクワクしている。相手もワクワクしている。それで良いような気がします。それが「個性」なのですから。相手を100%理解しようと思ったら、完全に相手になりきらなくてはならないですし、それでは自分が自分として存在する意味がありません。

ただ、他人に攻撃したり傷つけたりするような事があってはいけませんが。そのような「エゴ」によるワクワクは、本当のワクワクとは違った、歪んだものですからね。

えーと、だいたいこんなところです。

これは、全ての人に対する答えだと言うつもりで書いた訳ではありません。当たり前ですが。

これは、私と言う個性からの解釈であり、皆さんの個性による解釈を深める上で興味があれば、参考にしてもらえたら言った感じです。


PS
時々こんなことを書いて、その割りに書いたとおりになりませんが(笑)、しばらく記事のペースを落とすことになると思います。ただ、今回のようにテーマをいただければ、それには対応していこうと思っています。


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