アセンションの時代

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自分は「何をしたいのか」?

私達は、何のためにこの世界を経験しているのでしょうか?

それは、魂の求める経験をするためなのだと、言う事が出来るかも知れません。

魂は、エゴを通して世界を経験するために、自らの内で3次元と言う幻想世界を経験して来ました。

それは、二極性の世界でした。

生があり、死があります。正義があり、悪があります。救いがあり、絶望があります。優秀があり、劣等があります。平和があり、戦争があります。

私達の魂は、一方を経験するために、自らの幻想の世界にもう一方の経験を生み出す必要があったのです。

それが、3次元と言う世界で生み出される経験の仕組みなのです。

しかし私達は、存在は永遠の中にあり、生も死も無くただ存在し続けているのだと言う事実に気付き始めています。

二極性と言うのは、視点のバランスを崩す事によって生み出される、幻想的な経験なのです。

生を経験しようと欲する限りは、そこに死が存在している必要があるのです。

正義を経験しようと欲する限りは、そこに悪が存在している必要があるのです。

それが、3次元世界の仕組みです。

ネガティブな存在達は、これまで私達の世界に、二極性と言うアンバランスを生み出すための種をまき続けてきました。

新聞やテレビのニュースで、事件や事故と言う悲劇を伝えます。

すると、それを見た人々は、その悲劇的情報を受けてそうではない現実を強く望みます。自分はそうなりたくはないと。

その様に、事件や事故が無い世界を求めれば求めるほど、それを経験するために、一方で事件や事故が自らの経験世界の中に創造され続けるのです。

ネガティブな存在達は、マスコミを利用して、ネガティブなニュースを流します。

すると、私達はそれを受け取って、ネガティブを遠ざけようとします。ネガティブを遠ざけると言う経験をするためには、ネガティブを欠かす事は出来ないのです。そのために、私達の幻想的な経験世界には、ネガティブな出来事が創造され続けているのです。

私達が、明るい未来に意識を向ければ、一方で暗い未来が創造されてしまうのであれば、私達はいったいどこに意識を向けたらよいのでしょうか。

それが、「今・ここ」と言う事なのです。

今・ここに、どの様に意識を向ければ良いのでしょうか?

それが、「わくわく」へと言う事なのです。

魂と言うのは、結局は「未来」を求めている訳ではないのです。そして実は、「より良い」状態を求めている訳でもないのです。

なぜなら、魂は永遠の中に存在し続けており、未来や過去と言う幻想には囚われていないのであり、より良いも悪いもなく、完璧であった状態から生み出されているのです。

では、なぜそれにもかかわらず、私達はこんな世界にいるのかと言えば、経験したかったからなんですね。

無限の可能性の中から、知恵を絞って創造した「地球・人類」と言うバージョンのゲームを味わってみたかったのです。

その味わいは、それを味わっている「今」の中にのみあるものなんですね。

「今」を味わう事が大切なのです。

これまで運転席を独占してきた「エゴ」が、本来の助手席に戻り、経験世界のナビゲーターとしての役割に戻ると、私達の人生の目的は、エゴが選んでいたものから、本来の運転手であるハートが選ぶものへと代わっていく事になります。

つまり、「お金」「名誉」「役職」「優秀」と言う様な、エゴが選択してきた人生の目的は、その価値・意味を失っていくのです。

そして、その目的は、何に置き換わるのでしょうか?

それは、「今・ここで、やりたいこと」なんですね。

バシャールはそれを「わくわく」と表現したり、アシュタールは「ご機嫌さん」と表現したりしていますね。

私達は「地球・人類」と言う、経験の創造環境の中に存在しており、そこで今を楽しむ事に、私達の今は存在意義を持っているのです。

波動が低い状態では、それは、欲望などの「エゴ」が欲する方向へと捻じ曲がってしまうのですが、そうではなくて、ハートが欲する波動において今を楽しむと言う意味です。

あなたは、「今・ここ」でどの様な経験を味わいたいですか?

それが、これからの私達の世界を創造していくカギなのです。



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