自己表現「我が道を行く」・エネルギー感覚
ストレスになるような出来事があった時、その多くは「人間関係」である事が多いのだと思います。
そして、「相手が自分の思うように動かない」事に原因があるのだと、私達は思いがちです。
「あんな事をするなんて、信じられない。」
「あんな人だとは思わなかった。」
「常識では考えられない。」
大なり小なり、そうした考えが私達の内面にストレスを生じさせます。
しかし、それは視点を変えると、必ずしも相手に問題がある訳ではないのかも知れません。
その時、私達は「自分の価値観を相手に押し付け、相手がそれに応えなかった事によって生じた負担を自分が被らなければならないと感じてしまう」のです。
実はこの時、私達は自らの存在の軸を、自分から相手に移してしまっているのです。
それでは、自分が自分である事に、不快感が生じます。相手の土俵に乗ってしまっている訳ですから。しかし、それを相手のせいにしているのが、これまでの私達の一般的な反応なのです。
しかし、実際には私達は、相手の土俵に乗る必要はないんですね。相手は相手の価値観と言う土俵で自らの相撲(人生)をとっているのです。その事に価値があるんですね。
自分は自分の土俵で、自分の価値観によりその技を極めていけば良いのです。
それでは相手が困る事になり、結局は自分がカバーしなければいけなくなると私達は考えがちです。
しかし、そうではないんですね。
相手が困るのであれば、それは相手が学ぶべきテーマを引き寄せたと言う事であって、その相手の学びを自分は自分の土俵から出来る形でサポートすれば良いのです。
でも、「出て行って私が代わりに助けないと、冷たい人だと思われるかも知れない。」
それは、そう思う自分のエゴの問題であって、もはや相手の問題ではありません。
相手を尊重すると言う事は、その学びの方法・過程も含めて尊重すると言う事なのです。もちろん、それについては自己責任と言う形で自分にも当てはまります。
それが、「依存」し会うのではない、「自立」した関係なのだと思います。
それは、相手に対して無関心になると言うのではなく、相手の主体性を乗っ取るようなお節介はやかずに、愛をもって適度な「サポート」により接すると言う事なのです。
すると、常に自分が考えるべきは、「相手がどうするか」ではなく「自分がどうするか」と言う点に集中され、相手の行動によってストレスを感じると言う事が無くなっていきます。
そうなると、これまで自分や相手や状況の中で、いつも自己の主体性が彷徨いフラフラしていたものが、自分の主体性が自分の土俵の上にピタリと定まります。
すると、意識は全てを自己表現の機会だと捉え、それにのみ集中して行く事になるのです。
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12月末を経て、1月に入ってエネルギー感覚が急拡大しています。12月は細い道を駆け抜けるようにスピード感が凄かったのですが、1月には言ってからは、自分を包み込むバルーンがどんどん膨らみながらバルーンの内と外が溶けていっているような感じです。
バルーンの内側が、ハートを起点とするエネルギー感覚で、「浮遊・内・無限への拡大」と言った感じで、異なる「圧力的」なマインドのエネルギーと1つに混ざり合い始めたことで、繊細で感じにくかったハートのエネルギーが、強く感じられ始めているような感覚です。
あまり書くと変な人になってしまうので(充分変か(笑)))あれですが、エネルギー感覚と言うのは、気のせいではなく、「ハッキリそれと感じるもの」です。思考・意識によって感じ取ると言う点で、気のせいといっても的外れと言う訳ではありませんが。
5次元の地球を捉えるという意識で、自分の周囲に広がる、自分のハートと繋がるエネルギー領域を捉えようと数日前から意識し始めているのですが、それもかなりのスピードで進んでいます。
とにかく変化が早いです。春分を起点とする3月には、また色々と大きく動き出すのではないかと感じています。
大統領選挙でヒラリー氏が落選した事により、いったん仕切りなおしとなった感がありますが、根本的な流れが覆った訳ではなく、遅かれ早かれ、古い社会システムは崩壊し始めるだろうと思います。