アセンションの時代

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「与えるもの」と「与えられるもの」

「与えるものが、与えられるものである」とは、スピリチュアルの世界では良く言われることです。

この「言葉を知っている」人は多いと思います。

しかし、この「言葉を受け入れてその通りに生きている」人は、それ程には多くないのかも知れません。

例えば、私自身の経験として特に印象に残る「人から与えられたもの」と言うのは、「お礼」である事が多いのです。

スピリチュアル的に言われているのは、そうした1つの物事に限定しての与える与えられるだけではなく、人生をトータル、あるいは転生をも含めてトータルでそれが表れて来るということです。

しかし、1つの出来事の中に即座にそれが表れて来ることもあるのです。そして、それは与える与えられるの繋がりが直接的であるだけに、その繋がりがより印象に残りやすいのです。

例えば何年も前ですが、ヤフーの知恵袋で、受験生が進路について質問・相談をしていて、それに回答と言うかアドバイスを書き込んだことがあります。

その人は、お礼の言葉に「読んでいて涙が出て来ました。これからも、人生の岐路に立った時や辛いときには、このアドバイスを読み返して頑張りたいと思います。」みたいな事を書いてくれたのです。

与えたものを、そのまま与え返してもらったのです。私自身も、今でもこのお礼のコメントに喜びを感じ、支えられているのです。

また、以前、サラリーマンをしていた時に、田舎なのですが駅前で道を尋ねている中国の人がいたのです。

私も道を尋ねられたのですが、既に夕方であったし歩いていくにはかなり遠い距離であったので、「歩いて行くには遠いので、そこのタクシーで行くように」と伝えました。

しかし、日本語も出来ず、お金も充分には持っていなかったのか、とにかく歩いて行くと言う前提であちこちで道を訪ねているようでした。

それがどうにも気になって、職場に戻ってから地図をもって車で戻ってみたんですね。彼女はメモを手に、途方にくれながら店から出てきた所でした。距離が遠いので、説明してあげたくても、簡単に説明できないのです。日本語でさえ。

それで結局、私がそこまで送って行ってあげたのですが、車で走っていてもどうやら思っていたより遠い距離であったようで不安げでもあったのですが、近づいてくると景色を知っていたらしく喜び始めました。

そして、「あなた良い人」と、片言の日本語で何度も繰り返して、お礼にお茶でもと迷いながら言ってくれました。そりゃ、迷いますよね。自分のアパートじゃないんだから。(笑)

でも、何とか感謝を伝えなければと言う気持ちが伝わってきて、私自身が凄く嬉しくなったのを今でも覚えています。

そして、何で私がわざわざ車で戻ってまで送ったのかと言えば、若い頃、中国を旅した時に、逆の立場になった事があるのです。私は別に迷っていた訳ではないのですが、砂漠のオアシスの村で、ホテルから離れた村はずれまで散歩をして歩いていたのです。

そしたら、タクシーが通りかかって乗せてくれたのです。勝手に止まって「ついでだから乗ってきな」みたいな感じで。行き先、説明できないんだけど・・・と思ったけど、そんな事聞こうともせずにタクシーはまっすぐホテルに向かい降ろしてくれたのです。

多分、外国人の泊まるホテルはそこくらいしか無かったのだと思います。「お金?いいよいいいよ、気にするなって。」って感じで、タダで送ってくれたのです。

つまり、こうして与えられた記憶もあって、今回は与える側に立ち、それによってまた感謝を与えられたと言う感じなんですね。

電子書籍でも、まずこちらから情報を投げかける訳ですが、レビューで褒めていただけると、これが想像以上に嬉しいんですよねぇ。感謝しています。

今日の記事では、繋がりのわかりやすいものについて書きましたが、関連性が顕在意識によって分らないものであっても、「波動の法則」に基づいて、常に与えるものが与えられることになっているんですね、この世界は。

物理的な法則のみを信じていると、迷信や戯言だと言う事になってしまうのですが、いずれを信じるかは、それぞれの経験の創造主である各自、自分の選択次第なんですね。


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