アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

「自由」と「暇」

どうも、「時間」の感覚に馴染めません。

以前は、車に乗せられて長いあいだ走り続けている感じでした。日々、車窓の風景(日常現実)は変わり行き、それによって自分は進んでいるのだと感じていました。しかし、それは必ずしも自分が進歩していると言うのではなくて、ただ自分を押し殺して狭い車(人間としての与えられたキャラクター)の中で座っているに過ぎないのです。

その車のスピードが、「時間」と感じられるものです。

しかし、今の私は、そうした車から降りた状態にあります。つまり、時間を感じなくなってしまったのです。

以前であれば、朝何時に起き、何時までに食事をすませて家を出る。何時までには職場に着き、何時までどの仕事をし、何時から会議、それが終わったら何時から昼食で、午後は何時からどこへ行き、何時までに職場に戻って、終業時間まで事務仕事をする。何時に帰って、何時から家事をして、何時から食事をして、何時から子供とお風呂に入って、何時に寝る。

そうした生活が曜日ごと、季節ごとに次々と流れていたのです。私の目の前の風景は、「時間」刻みの時の中で、次々に流れ行き、そこから目をそらす事さえままなりませんでした。

しかし、今の私の日常は、これまでの様に自動的に次々と分刻みで流れていく事はありません。

朝、子供を学校に送り出す必要はありますが、あとは子供が帰ってくるまで「さて、今日は何しましょうか」と言う感じなんですね。

最低限の収入を得るために、多少の仕事はしていますが、自営業の事務的な仕事なので、時間にはあまり縛られないのです。季節的に冬場は少し仕事をする時間が増えますが、それでも日に1~2時間です。

仕事を増やそうと思えば増やすことも出来るのですが、それは必要になればそうした選択肢もあると言う事で、意味も無くやたらに仕事を増やしてもしょうがないですしね。

それでも始めのうちは、社会の変化を情報として追いかけたりして、それによって「時間」がまだゆっくりと流れてはいたのです。

しかし、そうした事の無意味さに気付いてくると、それもしなくなって来るのです。情報を得ないと言う訳ではないですよ。一応流れ行く社会の変化を、ごく大雑把な情報により眺めてはいるのですが、それを追いかけて、いちいちそれにああだこうだと感情を揺すられたりすることには意味を見出せなくなって来たのです。

すると、もう本当に自分の中では「時間が無くなってしまう」のです。一般に言われるような「足りない」と言う意味での無くなるではなく、時間そのものが「存在しなくなる」と言う事なのです。

ただ、ここに居る感じ。「今・ここ」の中にずっと居続ける感じ。さて、何をしましょうか・・・と。

皆さんは、アセンション後の世界を「夢の世界」だと思っているかも知れませんが、「ワクワク」をしっかりと身に着けていかないと耐えられないですよ。(笑)

アセンションすると私達は「自由」になって行きますが、自由とはワクワクを知らない人にとっては耐え難い「暇」なのです。つまり、4次元・5次元の世界には耐えられないんですね。そのため、3次元の世界に残る人もいるのです。

3次元の世界は、「時間」によって日常風景が強制的に流れていくので、逆に安心出来るんですね。

私達は、これまで3次元の世界での日常風景を、時間管理によって強制的に流されて来ましたので、突然にそこから放り出されれば、はじめは誰もが実際には「暇」を感じてしまうでしょう。しばらく勢い良く遊びまくっても、自由はしばらくでなくこれからずっと続いていくのですから。

社会はまだ、突然にカチッと切り替わるのではなく、時間をかけて変化していくので、変に心配する必要はありませんが、ワクワクを心の中に育てていると言う意識を大切にしたいですね。

以前も少しだけ書いたことがありますが、4月以降に、希望される皆さんで小さく集まって、少しお話できる場を呼びかけてみようかなぁとも思ったりしています。

一度やってみた具合を見て、その後も、気楽で緩めな繋がりを何か模索してみることが出来るといいかなぁと思っています。

まあ、まだ少し先の話にはなりますが。



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